投馬国の中国音と、なぜか関連しそうにない埼玉県あたりの多摩国という中国音が、実はまったく同じである。ということになると、3世紀の魏志の編者はなにゆえに「とうまこく」を多摩国と書き表さなかったのだろうという疑問が出る。
そう書いていればそれは「たま」と読むことに異論を挟む余地はなくなっただろうに?
何も投馬国が多摩だと決め付けたいわけではない。
「投馬」と書いても「多摩」と書いても中国音では双方が Duōmó (トウモアないしはドゥオモア)である。九州で人気の深夜番組と同じ表記になる。Doumo!
http://translate.google.co.jp/#ja|zh-CN|%E6%8A%95%E9%A6%AC%0D%0A%0D%0A
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「トウモア」は「とうま」「たま」ともに近い音である。
どこだと決めたいわけでもない。
ただ投馬と多摩が同じ音だと言っているだけである。
「たま」だった場合
もし「たま」と読むのだとすると、その音は「玉」も同じだろう。
ちなみに「Tama]と入れて変換すると漢字は多摩が出て発音は「トウモア」だった。
ちなみに「Tama]と入れて変換すると漢字は多摩が出て発音は「トウモア」だった。
http://translate.google.co.jp/#ja|zh-CN|Tama%0D%0A%0D%0A
すると多摩、玉、投馬がみな同音になってしまい、中国人には区別がつかないことになる。
「玉」であるとすれば面白くなる。
記紀には豊玉彦・豊玉姫、そして玉依姫という南九州海神族の神である「おおわだつみ」=大海神・大綿津見の名前が思い起こされる。「タマ」とは「御霊」であろう。
ワタツミの「ワタ」は対馬では入り江を意味する。海の江なので朝鮮語のパダで一致する。だからこの「Pada」という言葉は古代玄界灘対岸地方における海人族の共通語と考えても差し支えなかろう。
「ツミ」について『海人たちの足跡』の作者・永留久恵(ながとめ・ひさえ)は「津」「巳」であるかと分析する。「巳」とは蛇のことである。中国で海神は竜神であるが、日本などの倭種の間では当初それは蛇神=ナーガであった。出雲のカンドの神が海蛇であったり、沖縄でも海蛇であるのと合致する。海の神=蛇と。
その海の男神の名前が記紀で「トヨタマヒコ」である。
「トヨ」「タマ」「ヒコ」
「トヨ」とは「豊」で豊かな場所。
「タマ」は霊魂
「ヒコ」は男である。
「トヨ」とは「豊」で豊かな場所。
「タマ」は霊魂
「ヒコ」は男である。
豊穣の海の神霊という意味になる。
つまりワダツミである。
つまりワダツミである。
ところが奇妙なことは南九州には豊という国がない。豊は大分県全体と福岡県東部を指す。
玉は関東の武蔵野の台地である。多摩丘陵といえば「さきたま」古墳群があって、千葉や茨城からは霞ヶ浦、東京湾からは利根川でつながっていた。今の群馬や栃木や茨城、千葉などの海人族も、おそらく多摩丘陵古墳群の為政者のもとで働いた人々が住まった場所であろう。それは大きくわけて古墳時代以前からいた蝦夷と海人族、あとから入ってきた渡来系技術者の混生する地域になろうかと思う。こういう言い方は北関東人には申し訳ないが、多摩丘陵が山の手でほかは下町だったと思えば捉えやすい。そして面白いことに現在の文化圏としてもまさにそのまんまだと九州にいる自分には見えてしまう。今そこに人がそのまま古代から住み続けているわけではないし、そんなはずはないのに、文化として北関東には技術者、職人のいる場所というイメージが確固として存在する。
玉は関東の武蔵野の台地である。多摩丘陵といえば「さきたま」古墳群があって、千葉や茨城からは霞ヶ浦、東京湾からは利根川でつながっていた。今の群馬や栃木や茨城、千葉などの海人族も、おそらく多摩丘陵古墳群の為政者のもとで働いた人々が住まった場所であろう。それは大きくわけて古墳時代以前からいた蝦夷と海人族、あとから入ってきた渡来系技術者の混生する地域になろうかと思う。こういう言い方は北関東人には申し訳ないが、多摩丘陵が山の手でほかは下町だったと思えば捉えやすい。そして面白いことに現在の文化圏としてもまさにそのまんまだと九州にいる自分には見えてしまう。今そこに人がそのまま古代から住み続けているわけではないし、そんなはずはないのに、文化として北関東には技術者、職人のいる場所というイメージが確固として存在する。
その証拠が今度の震災で滞っている製紙である。タバコ産業などの根幹にあって紙は古代から重要産業であり、富岡製糸工場などの養蚕文化とともに北関東畑作文化の根幹にあった。
その同じタバコの名産地で見るなら、鹿児島県国分市がある。ここもタバコの産地で歌にもなっている。(もっとも今の国分市にタバコ畑は見られなくなっており、それは豊後町が中心地となった。)
ここもまた豊後から人が入った地名である。時代はどうあれ、人が代々入る土地、そこには代々同じ地域から人が来るものである。だから豊後町が江戸時代の地名でもそのまえから、おそらく奈良時代からだろうが、豊国から人は来たのだろう。
ここもまた豊後から人が入った地名である。時代はどうあれ、人が代々入る土地、そこには代々同じ地域から人が来るものである。だから豊後町が江戸時代の地名でもそのまえから、おそらく奈良時代からだろうが、豊国から人は来たのだろう。
なぜタバコや紙や養蚕で考えるか?
それが渡来技術者や海人族の主たる根幹産業だったからそう考えるのである。
筆者は旅をしてそれを肌で感じてきた。
専売公社があった場所・・・富山、京都、神奈川秦野、茨城、鹿児島・・・タバコ生産の畑作の多い場所・・・大分県、鹿児島県、富山県、新潟県、福井県、茨城県、福島県、宮城県、山形県、・・・・
技術者系産業が今でも繁栄し、地域の根幹産業となっている。
そしてタバコは官製植物で政府の許可がいる。というよりも政府、幕府が許可する地域だということである。言っておかねばならぬのはタバコ産業は全世界でそういう産業であり、国家の社会福祉事業と深くかかわってきたのである。タバコに反対する人にはようく聞いておいて欲しいが、喫煙者が減れば彼等の仕事も減り、その代わりに何を政府は用意したと思いますか。原発でしょう?
わかったかな?
これが歴史である。
投馬国がどこにあったかどうかなぞは自分には余禄でしかない。
重要なことは歴史の真の姿である。
それを探求すれば投馬国などは向こうからやってくる。
多摩、豊、玉、ワダツミの祭られる場所のどこかが投馬国である。
重要なことは歴史の真の姿である。
それを探求すれば投馬国などは向こうからやってくる。
多摩、豊、玉、ワダツミの祭られる場所のどこかが投馬国である。
最も古いワダツミの表記は対馬の「和多都美豊玉比売神社」であろう。この名前で祭られている海神は鹿児島県枚聞(ひらきき)神社の別名として存在している。
開聞岳と矢筈岳の麓、揖宿郡(いぶすき・ぐん)にあってそこは隼人20年戦争を引き起こした大隈隼人の女酋長たちが蕃居する日本本土最南端の場所。
開聞岳と矢筈岳の麓、揖宿郡(いぶすき・ぐん)にあってそこは隼人20年戦争を引き起こした大隈隼人の女酋長たちが蕃居する日本本土最南端の場所。
言いたいことはこれだけ。
あとは自分で考えてください。
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コメント
コメント一覧 (2)
日本書紀では「タマ」には、玉、瓊、魂の字が当てられていますね。
『また右の瓊を噛んで右の掌において生まれた御子神を天穂日命という。これは出雲臣・武蔵国造・土師連たちの遠祖である。』
似た地名では、二上山の当麻寺や但馬がありますね。
なぜ多摩の字があてられたのか???
kawakatu
がしました
おっしゃるように玉 造部たまつくり・べと関係するでしょうね。
埼玉の玉も。あとは幸魂の「たましい」。御霊が多い?
延喜式は「多麻」と造りますので、苧麻が多かった?
出雲臣、土師氏の祖とあるので渡来系技術者でしょうか。
大彦の子孫です。
kawakatu
がしました
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