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●北海道有珠10遺跡【うすじゅういせき】(今は有珠モシリ遺跡※で統一)の南海産貝殻
「北海道伊達市噴火湾の小島(通称モシリ)にある縄文時代晩期~続縄文時代の遺跡。島の中心は墓域になっており,それを取り囲むように貝塚が形成されている。西日本に多いとされる改葬墓や,南海産イモガイ※の腕輪やゴホウラの垂飾(すいしょく)※が出土していることから,続縄文文化と弥生文化とのかかわりが注目された。」
http://kotobank.jp/word/%E6%9C%89%E7%8F%A010%E9%81%BA%E8%B7%A1
 

 


●貝輪
「貝輪(かいわ)とは、貝殻で作られた腕輪のことで、特に古代日本で使われたものを指す。
貝輪は縄文時代からあり、サルボウ※など大型二枚貝に穴を開けたものが広く見つかっている。弥生時代になると、九州北部などで巻貝類のカサガイやオオツタノハ※などに穴を開けたものや、イモガイ、ゴホウラ、スイジガイなどを切って作った貝輪が盛行し、当時の支配階級を表すものであったと見られる。これらの貝の多くは奄美群島以南に産するもので、沖縄諸島などではこれらを大量に加工したとみられる遺跡も見つかっており、九州との間で盛んに取引されたと見られる。例外的に北海道でも有珠モシリ遺跡(続縄文時代)でイモガイ製腕輪が見つかっている。
弥生時代末期頃からは青銅や石(碧玉など)を用いて貝輪に似せたと見られるデザインの腕輪や装飾品が作られるようになった。これらにはゴホウラに似た鍬形石(くわがたいし)や銅釧(どうくしろ)、カサガイに似た車輪石、イモガイに似た石釧、さらに輪ではないがスイジガイに似せたともいわれる盾などの飾りである巴型銅器(ともえがたどうき)があり、古墳時代には西日本一帯で用いられた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E8%BC%AA
 
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●ゴホウラ貝
 
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「巻貝(まきがい)の仲間であるゴホウラは、かつて腕輪に加工された。奄美大島以南・南西諸島のサンゴ礁で水深10mほどのところに生息する。殻高(かくこう)18cm、殻径(かくけい)12cm、厚さ20mm以上に達する。英語でWider Pacific conchとして知られ、熱帯太平洋にも産する。」
「島根県西川津遺跡※で掘り出されたゴホウラ貝輪(腕輪)は日本海側の東限にあたります。一方、太平洋側(瀬戸内)では兵庫県夢野遺跡※が東限になります。福岡県立岩遺跡で発掘された成人男子の弥生人骨の右腕に14枚もの縦型貝輪がはめられていました。

 弥生時代中期から12世紀にかけて南西諸島と九州のあいだで貝類交易がさかんになり、南西諸島産の白色貝輪材料(ゴホウラ、イモガイ、アンボンクロザメガイやダイミョウイモガイなど)や暖海産の貝であるオオツタノハガイ、ベンケイガイが大量に取り引きされていました。

 また、北海道有珠遺跡(うすいせき)から出土したゴホウラやイモガイ貝輪もこうした貝輪交易ルートの延長線上にあったと考えられます。」(兵庫県・生態研究部 武田 淳)
http://www.nat-museum.sanda.hyogo.jp/news/docs/harm2.html#hm16
http://www.nat-museum.sanda.hyogo.jp/news/docs/hm16-6.html
 

●北海道の貝加工品が九州から
「①沖縄の南方を特産地とする貝であるゴホウラの飾りが、北海道の有珠遺跡から相当数出土したこと。
 そして、これとソックリ同型のゴホウラの飾りが佐世保市の宮の本遺跡から出土したこと。
 ②さらなる「裏付け」として佐賀遺跡※から出土した貝の飾り物、それが何と北海道から津軽海峡、岩手県の北部までを南限とする生息である貝、サルアハビ・ユキノカサであったということ。※」
http://www.geocities.jp/pujo106blue/sub0402.htm
※この記事に関しては調査検証が必要か?佐賀遺跡という遺跡が見つからない。
 
別稿で分析。Kawakatu
 
 
 


 
 
【言葉の整理】
●有珠遺跡 北海道伊達市有珠にある有珠モシリなどを含む島内10ヶ所(現在まで)の遺跡の総称であるが一般には使用しない。
 
●垂飾=ネックレスの玉。紐を通しつないで首に下げた。ひもがなくなって玉だけが出るものをこう呼ぶ。
 

 
画像は埼玉県川口市(荒川沿線)石神貝塚(いしがみかいづか)で出土した垂飾(縄文後期)。新潟県姫川産翡翠でできている
http://www.saimaibun.or.jp/seika/shiryo-16/
 
●有珠モシリ遺跡(続縄文時代)=北海道伊達市噴火湾の小島(通称モシリ)にある縄文時代晩期~続縄文時代の遺跡。イモガイの腕輪が出土した 。遺跡名は当初、有珠10遺跡と呼称されたが、平成八年に有珠モシリ遺跡と改称された。 http://www.funkawan.net/bunkazai/mshiri.html

「遺跡は、北海道伊達市有珠、有珠山の南裾、有珠湾と呼ばれる入り組んだ磯浜の沖合、約一〇〇メートルほどの地点に形成された低平な小島に所在する。この小島は、干潮時には転石伝いに渡れるが、満潮時には孤立した島となり、面積は干潮時に約一万平方メートルである。島の中央部附近には溶岩塊の基盤上に近世初頭の火山灰が堆積し、標高約七メートルの台地となっている。
 
遺跡名は当初、有珠10遺跡と呼称されたが、平成八年に有珠モシリ遺跡と改称された。この名称の由来はアイヌ語で、ウショロ(湾)に浮かぶモシリ(島)である。遺跡は、この部分を中心とした約五〇〇〇平方メートルに広がると推定され、まず基盤上に縄文時代晩期の貝塚および墓坑が形成され、その貝層を掘り込む形で続いて続縄文時代の墓坑が多数築かれている。」
http://www.weblio.jp/content/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%9C%89%E7%8F%A0%E3%83%A2%E3%82%B7%E3%83%AA%E9%81%BA%E8%B7%A1%E5%87%BA%E5%9C%9F%E5%93%81
 
 
 
●サルボウ=アカガイの一種本州中部日本以南、西部太平洋。内湾の多少淡水の混じるようなところを好む。
http://www.hagi-kitamura.com/fish/sarubou.htm
 
●ゴホウラ=南西諸島以南にしか分布しない貝ゆえにこれを使った遺物はそれを運んだ人間と時代を知る上で一級考古資料になる(Kawakatu)。分布図
 
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●イモガイ=「世界の暖流域に分布するが、熱帯域のサンゴ礁に特に種類が多い。日本では、太平洋側では主に房総半島以南、日本海側では主に能登半島以南など、黒潮や対馬暖流などの暖流の影響の強い地域に見られる。本土では直接黒潮に接する千葉県や和歌山県、高知県などに多くの種が見られるが、南西諸島を抱える沖縄県や鹿児島県は種類が格段に増え、特に沖縄県では約110種を数える。」
 
「イモガイは動作が緩慢なので、魚のような俊敏な動きの獲物に対しては、歯舌を発達させた毒銛(矢舌とも呼ばれる)を撃ち、その体内に神経毒を注入し麻痺させて捕まえる。また身に危険を感じたときも、外敵に対してこの毒銛を撃つ場合もある。特に魚食性や一部の貝食性のイモガイは、その毒性が人を殺すのに十分なまでに発達したものがいる。」極めて採集が危険性に満ちた貝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%82%AC%E3%82%A4#.E5.88.86.E5.B8.83
 
●アンボンクロザメガイ=イモガイの一種。無毒。亜熱帯性http://www.geocities.jp/ris_miyako_islands/photos/nantai/anbonkurozame.htm
 
●ダイミョウイモガイ=亜熱帯~熱帯性
●オツタノハガイ=伊豆諸島などhttp://www6.ocn.ne.jp/~palais/page051.html
●ベンケイガイ=北海道南部から九州; 朝鮮南部http://www.hagi-kitamura.com/fish/benkeigai.htm
●サルアハビ=殻長73㎜スカシガイ科分布 東北地方以北 産地 北海道留萌
解説 殻は笠型で白色、縦に長い。湾入がある。名前に「アワビ」とつくが、アワビ類とは関係ない。身は大きく、真っ赤なので、名前に「猿」と付く。
http://kitanoex.exblog.jp/9674481/
●ユキノカサ=殻長56㎜ユキノカサ科分布 房総半島・富山湾以北産地 礼文、稚内、小平、襟裳
解説 殻は白色、厚質でやや大型。殻高は高く、殻頂は殻の中央に位置する。20~30本の太い放射肋があり、その間には細い放射肋がある。
http://kitanoex.exblog.jp/9674133/
 
●宮の本遺跡=長崎県佐世保市高島町にある縄文時代前期から古墳時代の遺跡。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E3%81%AE%E6%9C%AC%E9%81%BA%E8%B7%A1
 
●佐賀遺跡=?所在地不明
佐賀県遺跡一覧になしhttp://map.goo.ne.jp/kanko/19/41/
長崎県対馬市峰町に「佐賀貝塚」あり。http://www.pref.nagasaki.jp/jiten/ruin.php?id=3151
おそらくこれのことであろう。Kawakatu
 
 
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これまで筆者の調べた限りでは、縄文時代に南島~九州~日本海~南北海道への貝の道があったことは周知のことであったが、逆コースで北海道から北海産の貝が九州に来ていたというのははじめて知った。
 
この記事を書くきっかけはやはり古田史学界の合田洋一『地名が解き明かす古代日本』ミネルヴァ書房 2お12
を読んだからである。そこには上記紹介記事とほぼ同じ文脈でこう書かれている。(P117)
 
「そして、考古学的見地から古田氏は、「沖縄とむすぶ四世紀前後の大交流」として、三~四世紀頃の北海道「有珠遺跡」から沖縄産の「ゴホウラ」の貝飾りが相当数出土したこと。また、縄文後期の九州の「佐賀遺跡」から北海道から津軽海峡、岩手県の北部を南限とする「サルアハビ・ユキノカサ」という貝の飾り物が出土したこと、などから沖縄-九州-東北-北海道の遺物が物語る歴然とした交流の事実を述べておられる。」
 
この文の古田が述べているとした文献とは『真実の東北王朝』駿々堂 1990 である。
まだ直接文献に当たっていない。
 
 
以下、乗りかかった舟になってしまったが、次の記事で、その古田史学界の人々の同類の記事から、遺跡と本当に九州でサルアハビ・ユキノカサ遺物が出たのかを検証しておきたい。不確実な記事のおかげでいらぬ仕事が増えてしまった。