クリスマスとは冬至祭のことです
初期キリスト教徒は一月六日を、「キリストが洗礼を受けた日」=「救世主が世に現れた日」=救世主キリストの誕生した日「主の公現」としていた。そののち、「イエスは生まれながらに救世主であった」という解釈から 1月1日が誕生日に。一年の始まりが太陽暦の正月元日なので、創始者イエスの生誕をたまたまこじつけただけ。

そして、ニケヤの公会議(西暦三百二十五年)で、 キリストの誕生日を十二月二十五日と決定、 教皇ユリウス一世が「イエスの誕生日は十二月二十五日である。」と布告し、 キリスト教国全体でこの日を降誕祭として祝うようになった、という経緯がある。クリスマスが十二月二十五日に祝われた最古の記録は、三百五十四年と言われている。
 
なぜ12月25日にしたかというと、そもそもの12月25日は、ミトラ神の生誕日だった。ローマ帝国にミトラ教が伝わったのは、 ポントゥス王国がポンペイウス率いるローマ帝国海軍に敗れたとき、捕虜になった兵士から一気に流行した。そのミトラ教の神の誕生日を、ローマがキリスト教を取り込んで、世界征服のために利用し、欧州全土に無理やり広めたときに、ミトラ神の誕生日と北欧諸国の冬至祭の時期が近かったので、12月25日を代用したわけ。だからイエスの誕生日はクリスマスの日ではないことは確か。キリスト教による欧州世界の統一をもくろんでいたローマ帝国の政治的戦略のひとつである。
ましてイエスが紀元元年の誕生であるのもうそで、事実は西暦3世紀の生まれ。誕生日説にはこのほか3月、4月などもあり、これは春が古代の一年の始まりだったからのこじつけ。
ここまでの参考サイト http://www.pleasuremind.jp/COLUMN/COLUM002.html
 
 


 
 
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今朝の初雪。九州だって雪は降る。暖かい太平洋側にもちゃんと雪は来る。今は空は真っ青で雪はあっというまに消えてしまったが、北部ではかなりの積雪。地形の生み出す不思議である。季節風は太平洋側には普段は入り込まないが、今回は一時的に冬将軍が南下して瀬戸内まで入り込んだため大分市でも積雪。「九州はあったかい」?冗談じゃありません。盆地や山間部は冬の間中雪に閉ざされているし、九州の北側西側は季節風を直接受けていつも寒い。あったかいのは宮崎、大分南部、鹿児島東部の、しかも平地だけですぜ。山は真っ白だ。冬はどこにいっても冬ですよ。沖縄だって14度くらいでもコタツ出してダウン着ているんだからね。
 
 
 
 
 
さて、異教徒である日本人にとってのクリスマスはどう捉えたらいいのだろう?
一番簡単なのは神道にちゃんとある冬至祭だと捉えること。これは北欧や世界各地に残っている古い冬至まつりのすべてに共通するので一番ふさわしい。つまり12月の下旬から正月を経て春分までの期間に往古から世界中で執り行われてきた古代の伝統的民間信仰である「太陽神の祭」だと解釈すればよろしかろう。
 
特に海洋民族である古代ケルト民族=原ヨーロッパ民族(日本で言うなら縄文人や海人族、人類起源でいうならわれわれ新人の前に栄えたネアンデルタール人みたいな存在。あらゆる欧州人の遺伝子の大元・基層にある原種民族のひとつ)はもともと冬至と夏至を強く意識した原始信仰を存続させてきた。それはなぜか東西アジアの原種民族にも共通する新興なので、そもそもは人類発祥の土地であるアフリカから西アジアに最初からあった人類最古の信仰だったと言えるだろう。
 
つまり農耕儀礼、狩猟儀礼に関わる食べること、生きていくことのサイクルを左右してきた人類史60万年の経験が作り出した太陽カレンダーを基盤とした宇宙信仰である。だからキリスト教・道教・仏教・ヒンドゥー教・回教のような、あらゆる新しい宗教の共通基盤になっているものだ。これこそが全人類共通の絶対唯一神だとぼくは考えている。世界の教義宗教のすべてはこの原始信仰のカレンダーの上に乗っかって、それを修正しようとして生まれてきた新興宗教なのである。

クリスマスという名前は「キリストのミサ」の略で、中世、あのマルティン・ルターの宗教改革の一環で、冬至祭はキリストの誕生日であると変えられたと考えていい。ドイツ人が考え出した。あの厳格な民族である。ここは朝鮮民族とよく似ていて、外から来たキリスト教を一旦取り込んでしまうと、先祖たちが信じてきた太陽信仰の神を完膚まきまでに自分の手で消し去ろうという厳格主義者ならではの手法で、ローマなどより数段キリスト教を徹底的に受け入れてしまうのであろう。朝鮮民族が中国に迎合するあまりに儒教の権化となったように。
 
ハイテンション民族特有の本家を凌駕する徹底したコピー貫徹主義である。ドイツ人のその潔癖性は、千年後にはキリストを告発したユダヤ人の迫害へと向かったのであるから、まず間違いない。つまり人類の特性のひとつとして、一旦新しい概念・観念を受け入れてしまうと、押し付けた側がいつかは困ってしまうほどに徹底して真似をし、真似た挙句にそのよそ様の概念・観念の、今度は盟主にまでなってゆく、というものがあることがわかるだろう。
 
ミイラ取りがミイラにどころか、ミイラ製造メーカーになってしまうようなものである。これは日本人の戦後の西欧文化のコピーにも見ることができる傾向だ。本家欧米を上回ってエコノミック・アニマルと化し、ついに自動車産業ではトップになってしまった。自分たちが何十万年持ちながらえてきた伝統的原始信仰を捨て去り、押し込め始めると、本家のカトリックキリスト教の狭義解釈まで改変したのがルターであり、ピューリタンである。その子孫の国家こそはアメリカ。その最重要産業である自動車産業を略奪したのが日本である。オモシロイ。

日本人が真似したクリスマス。そもそもは冬至祭りだった。だから25日に関わらず今月末ならいつだって祝っていい。そして冬至祭の太陽信仰の根源にあるのは生命の再生、祖霊の復活、つまり子作りなんであるから、現代日本のクリスマスにはエッチ・・・というのはあながち間違った選択肢ではないことになっちゃうんである。クリスマスにはどんどん励め。弘法大師も仰っている。「真言の仏の奥義は男女がまぐわうごときもの」。

いざ励め。さらば救われん。信じるものはいざ励め、なのである。オーイエス。
 
 
 
 
 
 
 
 
横浜の「九州の文化を楽しむ会」の菊池さん、「全国邪馬台国連絡協議会」資料と別冊宝島「邪馬台国と卑弥呼特集」とどきました。いつもおおきにね。会費いくらでしたっけ?
 
 
 
 

 

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