ここを13年間読んできた方なら全員おまかりのことだろうが、筆者Kawakatは最初、邪馬台国九州説から分析を開始し、やがて森浩一氏の東遷説、そして纒向が発見されて以後、分析に分析を重ねたうえで、纒向説へ。その後、東遷ではなく移住説へ。さらに海のみち、貝の道研究、弧帯文・弧文・直弧文研究からは吉備→東瀬戸内→紀ノ川→纒向説に落ち着いている。これは考古学その他すべての資料を何百冊もまさぐった結果である。そこに到達した経緯がこのブログである。詳細は纒向研究その他の書庫記事をすべて読めば、これまでの艱難辛苦がわかるはずだ。

その筆者に、「あなたは自分よりいささか歴史を研究しているようだが、邪馬台国は九州だ」ろうといまだに言ったやからがいる。無学文盲のようなしろうと発言にはいささかあっけにとられた。いったい何を読んでいるのかと。どれほどおまえは研究したのかと、あきれかえった。そのサイトに行ってみると、ほとんどなにも研究してきた痕跡もない。あっても主観的な、古臭い、何を根拠にそう言うのか、さっぱり何も提示されてはいない。ばかばかしくて、蹴っ飛ばして帰った。

結局、九州説を言い募る人々には、客観的根拠がなにもない。
考古学も知らない、東洋史も世界史も目を向けない、国境と現在の県境すら把握できていない、視野の狭い、せいぜい神社や民俗誌の極論だけが頼りの、まさに主観性の塊でできた脳みそで、古代史研究家気取り。
あるのは古田史学か神社研究の『日本古代史』程度の知識しかない。
そうでなければ『日本書紀』研究、文献研究ばかりで、1歩もフィールドワークしないもの。文献馬鹿といわれる過去の遺物たちの群れ。
その程度で古代史を書き始めている。
それは自分も最初は変わりはないから、むしろ面白い着想も出る可能性はあるかも知れない。知りすぎたら見えなくなるものも確かに多い。

科学的分析・・・環境学や気象学、地形学、地質学、鉱物学、文献と考古の突合せ・・・山ほどヒントは満ちている。すべてを知ろうとしなければ何もわかるまい。


長老たちは学校で嘘を吹き込まれ、聖徳太子はいなかったと言葉の意味に反発するのみ。新しい、大きく変わり、学閥や学科と越えての研究が今や進んでいるというのに、いまだに『日本書紀』をバイブルに、あるいは古田本をバイブルに、進むべき道の反対をむいて毎日努力する老人たち・・・失礼ながら進むべき方向を間違えてまい進しておられる。それではいつまで経っても納得できるアイデアに出会うわけはない。



小学生になったつもりではじめなおさねば、邪馬台国へは絶対に行き着かない。

最近はおすすめ参考資料や文献ページを更新していないが、多すぎてかけないからほったらかしてある。そもそも他人に資料を教えるいわれなど筆者にあろうはずもない。それでも、大汗かいてこれまで、3000以上の記事でヒントを山ほど書いてきた。なのに、読んでくれていない。ただ開いて、目を通し、ナイスするならまだましだが、ふん、といいながら帰ってゆく。

筆者自身ですら、検索していてヒットしたのが自分の記事だったとき驚く。それほど記事が多くて、もう忘れたことがある。百味箪笥の引き出し状態である。

それでも毎日毎日、600人もの人が来てくれる。その中に10年間でひとりかふたり、本当に隅々まで読んでくれている人はいる。書くとはそういうことでしかない。


なぜ書き続けるのか?

俺が、この俺が知りたいからだ。
誰かに教えたいわけではない。
自分のための、老いて記憶が薄れてゆく自分自身のためのブログなのだ。
お金になる仕事のための、ブログはメモである。そしてそのメモは、普通の物書きなら絶対人には見せたりはしない丸秘である。それをKawakatuは解放している馬鹿ということになる。

説はどんな説でも全部仮説なのだ。
常識も仮説でしかない。
常に大きく変化する。進化論ですら進化するのである。
ふん。とよそを見て言ったとたんに、あなたは研究者ではなくなるのだ。

まことにネットは嘘と馬鹿の記事であふれている。
このブログだってそのひとつだ。専門家に言わせれば。
しかしその専門家たちすらが、常識のとりことなっていて、越境できずにいる。
鳥の目になっていない。
アースダイバーになってはいないのだ。

西欧の果てまで行っても、まだ不十分。
隅から隅まで、世界のすべての歴史と民族を見なければ死ぬことは出来ない。


だからこそ、友人は持たない、しがらみはいらないと、ひとりで暮らすことを選んだのだ。どこが悪いか?



人生は一度しかない。
会社仕事にかまけているのはどいつだ?
誰のための仕事をしているのか?
自分のためだけでよいのだ。
家族?家族は家族でそれを見つければいい。
お父さんはその中に?入らない人なんじゃないの?


ぼや~~っといきてんじゃねえ!ってチコちゃんに叱られたらいい。







さて、夕餉にするか。