その二 広虫女、牛に変わって生まれる

 七日過ぎるまで火葬せずにおき、坊さんや在俗の修行者三十二人を頼み招いて、九日の間願を立て、亡き広虫女の冥福を祈った。七日目の夕方、広虫女は生き返り、棺のふたがひとりでに開いた。

 そこで棺の中をのぞいてみると、なんともいいようのなく臭かった。腰より上は牛に変わっており、額には角が生え、長さは四寸ばかりであった。二つの手は牛の足となり、ひびが入って爪が割れて、牛の蹄に似ていた。腰より下のほうは人の形をしていた。飯をきらって草を食い、食い終わるとふたたび口まで吐き出してかんでいた。裸で着物も着ずに、糞をした土の上に臥している。あちこちから人々が走り集ってき、不思議がって見、見物客はたえ間なかった。

 夫の郡長(小屋県主宮手)と息子たち、娘たちは恥ずかしがり、妻(子供たちには母親)の後生を心配し、体を地に投げ出して、あらゆる願を立てた。罪の報いを償うために、その土地の三木寺にいろいろな家財を奉納し、東大寺に牛を七十頭、馬三十匹、田二十町、稲四千束を寄贈し、他人に貸し付けていた物は、みな帳消しにして、返済の必要がないことにきめた。

 讃岐国の国司や郡の役人はこれを見て、都の官庁に報告書を出そうとしているところ、五日たって死んだ。これを見聞きした国府や都庁の人たちは、ことごとく来世の運命を嘆き悲しんだ。死んだ宮手の妻は、因果応報の道理をわきまえず、道理もなければ義理もなかった。だからあれは道理に外れた非道な行為、義理も人情もないない者への現世での悪報であったのだ。この現世における悪報でさえもこのとおりである。ましてや来世の報いは知るべきである。

 仏典に、「物を借りて返さないときには、馬や牛になって支払わされる・・・」とお説きになっている。物を借りている人は奴隷のように弱く、物を貸している人は王者のように振る舞う。借りている人は雉(きじ)のようであり、貸している人は鷹のようである。ただいかに相手に負債があるからといって、理不尽に徴収すると、かえって馬や牛となって、借りた人に使われるので、度を越えた徴収をしてはならない。


引用掲載 日本霊異記(下) 中田祝夫著 講談社学術文庫




地獄から閻魔につきかえされ、死んだのに蘇らされたあげくに、牛の姿で九日間もいきはじをかかされたあげく、九日目についに死んだごうつくな高利貸女の哀れな末路である。実際、そんなことなどあろうはずもないのに、この著者はしゃあしゃあと聞き書きしている。こういう与太話は、果たして著者が考えて脚色したのか、それとも最初からそういう伝承として村々に伝わっていたものなのか、はんぜんとはしないが、おそらく前者だろう。なにしろ仏教説話である限り、そのように怪奇譚に仕上げるものなのだから。それにしてもすごい想像力。中国にタネ本でもあったのだろう。

中国ではこうした怪異物語は「志異」などというが、仏教よりも道教色の強い噺ばかりである。あちらでは仏教よりもいまだに道教の人気が高い。そういえば中国の僧侶なんか、あまり見たことがないではないか?

奈良時代の僧侶、いや寺そのものが、かなりの数、金を貸していたことは商業史では有名である。お布施だけでは生きていけない僧侶や、経営できない寺が山ほどあったのである。この広虫女のように、幅広く商売する寺も多かった。もちろん国司や介たちも大差はない。手広くあきない、しかもあくどいやつらは山ほどいたようだ。時代劇の「お代官さま」的な官吏である。私腹を肥やし、弱者からとれるだけ奪って、3k仕事ばかりさせている。

ところが庶民のほうもしたたかで、その上を行くあくどい商売などで生き抜こうとする。それが現実の人間生活というものだろう。

この物語はまあ、学校で道徳教育に使っても、いまどきのガキどもなら、「んなあほな」だろう。「もっとストーリーにリアリティもたせなきゃ、現代の子供は怖がらないで」と言うだろう。こまっしゃくれやがって。そっちのほうが怖いわい。