民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

唐楓の紅葉と晩秋晴天

と;ととろ大分県豊後大野市宇目町土々呂元の地名は轟(とどろき)とどろきは「たたらぎ」通常「轟き」地名は滝のある場所に多いが、ととろ地区に滝はない。奈良時代からの鉱山が上流にあり、銘水が涌 ...

地名に青がつく場所に多氏の痕跡がよく見られる。東京都青梅、宮崎県青島、沖縄県奥武山(おうぶやま)、などなど。また『景行天皇紀』『豊後国風土記』などで大分県別府市?あたりの賊、青と白と出ている。青は死者、あるいは霊魂を示す色であり、同時に青銅を指す。古代の ...

禹歩(うほ)中国夏王朝の禹王が鉱山に入る様を模した中国山の民の入山儀式。さて、中国の山の民の間では峰入りの儀式として「禹歩」というものがある。これはズバリ猿の歩行、あるいは脚をくじいた者の歩行を真似するものである。山に入る前にまず、片足をひきずるように歩 ...

は;ハコネシダ 箱根羊歯日本産のアジアンタム。箱根芦ノ湖周辺に自生し、根は銅成分を吸着する。この羊歯が密集するところには銅鉱床があることがある。画像 http://www4.plala.or.jp/kenya1/cida/cida1/cida1.html蘆垣の中の似児草にこよかに我と笑(ゑ)まして人に知ら ...

このブログに使わせて頂いた参考文献と資料集、およびおすすめの著書を順次ここへ書き込みます。民族学・民俗学・文化人類学・比較民俗学「日本王権神話と中国南方神話」諏訪春雄 角川選書377 2005年「苗族民話集」村松一弥 平凡社 1974年「日本の幽霊」諏訪 ...

中国伝説の王朝・夏の初代。「鬼」と古代を探る誰もがたどり着くのが中国草創の時代、夏の国王禹ではないだろうか。倭人のルーツを探ったあげく、隼人や安曇族から呉越へと推移する探訪の果てに、ではそのまたルーツは?と考えてゆくと秦よりさらに古く、中国王朝の嚆矢と言 ...

では夏王朝の系図を分析してみよう。禹王は石から生まれたとされ、その子・啓は母親が石に変じて生んだとされる。「石」=火山+海=大地=天地創造の類型  である。禹は西羌(せいきょう)に棲む。そこはチベット・ビルマ語族の羌族のテリトリーである。「大禹西羌より出 ...

水銀地名 山形県 尾花沢地方の丹生川。最上川は「赤井川」と合流。丹生川沿いに現在でも銀山。     赤井川沿いに金山。鳴子の地名は佐賀県鳴呼からか。「なるこ」とは銅鐸か? 新潟県 佐渡ヶ島入川(にゅうがわ)。河口は入崎。     川の水源はタタラ山、隣は金 ...

獲物を探す鵜や鷹のように、必死にものを捜すこと。元々鉱物発掘を必死に行うところから出た用語であると谷川健一は日本の地名関連で書いている。鵜の目とは硫黄を指し、「鵜の目硫黄」という言葉がある。(広辞林)同じ鉱物を捜すのに鵜と鷹をわざわざ代表とした理由は、鷹 ...

大分県南部宇目町木浦宇目という地名はおそらく「鵜の目鷹の目」から。鵜の目は硫黄を指すが(鷹の目は黄銅鉱)、こういう鉱床を必死に捜す様子が慣用句としてのこの言葉を残したことはご存じの通り。「陸目八目」(おかめはちもく)とともに鉱山から生まれた言葉である。「 ...

石灰石地方にはいろいろな特徴的地形や景観がみられる。鐘乳洞は代表的なもので、わが国のみならず世界各地で重要な観光資源となっている。鐘乳洞中での主役は「鐘乳石」であるが、正確にいえば、天井からつらら状に下がっているのが鐘乳石であり、床にきのこ状に生成してい ...

左甚五郎ひだり・じんごろう近世の飛騨の匠の中で図抜けた業を持った匠。この名称は創作である。実際には飛騨の甚平から。飛騨匠の中で妖魔のごとき業師であった甚平は伝説の人物であるが、その名が全国に知れ渡る間に、超人業=鬼となり「五郎」が添付され、「飛騨の」がひ ...

その他のペアと、その隠語説明。●深草と壁塗 (『東北院職人歌合』) 深草は土器制作販売者の俗称。壁塗は言わずと知れた左官であるから、「土」つながり。●檜皮葺と挽入売(『七十一番職人歌合』) これは上記深草と壁塗つがいのパターンを300年後の時代に見合った ...

職人歌合しょくにんうたあわせ中世の歌会。職人、工人、芸能民などいわゆる回遊民、常民の暮らしぶりを貴族がペアになって詠い合ったものを、挿絵入りで記録した文書。ペアはそれぞれ同じ、あるいは全く正反対の職種職様をチョイスしてそれを即興的に歌にする。高度のテクニ ...

石積 いしづみストーンサークルと思われている石組の中には、実は修験者やサンカたちがそこで火を焚いたり、あるいは山歩きの目印としたり、仲間に自分たちが行った方向を指し示すものが多いので気をつける必要がある。また、修験者の妙見信仰が中世に流行。星を見るための ...

ウメガイ山刀。両刃の短刀で、主にサンカが用い、一子相伝される。いわばサンカの身印である。造りは古代の銅剣にも似るが、その類似性はまだ解明されていない。復活したウメガイ  http://www.ehamono.com/washiki/saji/umegai.htmlサンカについての知識  http://www.eha ...

前鬼ぜんき奈良県下北山村の大字地名。大台ヶ原のすぐ真下にあたる前鬼地名は、役行者が使ったという前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)からではないかと思うが、後鬼の地名はないようである。役行者や修験者、あるいはうばそく、山岳修行者などが木地師、炭焼き、探鉱師など金属関 ...

ズアイ杣、猟師用語。一本角の鹿のこと。一本角とは角が枝分かれしていない若鹿のこと。鹿の鳴き声は角笛のような音で、短く吐き出すように鳴くが、一声鳴くのをズアイ、ふた声を二のマタ、三声なら三のマタと呼び、鹿の成長によって違うという言い習わしが紀州の杣の間には ...

カシキ杣用語では「まかない」、「炊事係」のことカシキの名称の由来は古代の推古天皇の和風諱から推測できる。妹(いも)、豊御食炊屋比売(とよみけかしきぎやひめ)命、小治田(をはりだ)宮に坐しまして、天の下治らしめすこと、三十七歳(みそじまりななとせ)なりき。 ...

キリクチ和歌山、吉野地方で言うイワナ。紀伊半島には実際にこの地名の谷があるが、すでにイワナはいない。紀伊半島は日本におけるイワナの最南限生息地とされている。キリクチ谷には木地師がいたという。「江州渡木地師」(ごうしゅうわたりきじし)今の和歌山県海南市の著 ...

よき(斧)おののことをよきと呼ぶ理由は不明。和歌山熊野や奈良吉野の杣(木樵)は「杣よき」と呼ぶということが、実際に炭焼きであった宇江敏勝『炭焼日記』にある。「よき」は「よい」「うまし」=立派で美しいという古語からであろうかと推測する。横溝正史『犬神家の一 ...

阿曇磯良(あづみのいそら)神功皇后に従属した、志賀島の海人。民間伝承では、豊玉毘売命の子。磯良神を磯武良(いそたけら)と表記する神社があるが、記紀神話の豊玉毘売命の子、鵜葺草葺不合命の名には、「日子波限建(ひこなぎさたけ)」という名が冠されることがあり、渚(なぎ ...

綿津見豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)海神宮の主。初代神武天皇の外祖父。黄泉の国から帰った伊弉諾尊神が、日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で禊祓った時、三柱の筒之男神(住吉三神)とともに化生した綿津見三神は、もとはこの一神であったと思われる。 ...

闇の日本史@竹内さん提供実際にたたら製鉄に従事していた方の語りである。「菅谷たたら」で昔製鉄に従事していた方の「名調子の語り」をテキスト化したものです。『この菅谷たたらは1681年(天和元年)から1921年(大正10年)の5月5日まで140年間に渡って操 ...

中国の海人がしめていた犢鼻褌と倭人の関係出典; http://homepage1.nifty.com/koshifumi/fdc-01e.html日本の伝統的衣裳である褌を始めとした研究調査などをされている、西畑六道氏の長年の褌にまつわる研究調査書をこのほど、「褌ものがたり」の資料として全編寄贈して頂き ...

豊国(のちの豊前・豊後)で字沙都比古・字沙都比売に会い、筑紫の岡田宮に一年、阿岐(のちの安芸)の多郁理宮で七年、吉備の高島宮で八年をすごし、速吸門で塙根津日子(シイネツヒコ・椎根津彦別名珍彦ウズヒコ。腰に蓑を付けた漁師の神らしい)に会い、浪速の渡(大阪) ...

 伊香色謎命|       -彦生命皇子――大筒城真稚――気長宿弥王                      ||―――――神功皇后                     葛城高額媛    ||                              ||1 ...

竹内氏からご教授の七曜の概念と五芒星人類が出来た時に第一日を司ったのが最も遠い土星、その土星が第一日の第1時を支配すると考え、第2時は木星、第3時は火星、....となっていき第一日の第24時は火星が支配することになりますので、第二日の第1時は太陽の支配になり ...

<奉祀する神社>志賀海神社(福岡県東区志賀島)祭神 綿津見三神(底・中・表津少童(わたつみ)命)祖神 綿津見豊玉彦命、阿曇磯良(丸)社家 阿曇氏祭神の綿津見三神は、「ちはやぶる 金の岬を過ぎぬとも 吾は忘れじ 志賀の皇神 (万葉集1230)」の歌で有名なように、尊称して「 ...

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