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今宵の虎徹は血に飢えている
などとよく芝居で言う。
抜けば玉散る氷の刃
なども芝居で使う言葉である。
つまり両方とも、劇的な場面で使った刀の表現である。
虎徹(こてつ)は刀鍛冶の名前で、名刀の代名詞だが、多くの場合、新撰組の近藤勇(こんどういさみ)が使った刀であると誤解されている。あれは「新撰組ケップウ録」なんぞの、いわゆる新撰組芝居で使われたからで、実際に近藤はそんな上等の剣は持っていなかったらしい。そりゃあ貧乏な関東の農家の人だから当然だろう。とても高価で、下っ端の新撰組組長では買える物じゃない。
血に飢えているというほどだから、よほど切れる業物なのだろう。
抜けば玉散るのほうは、馬琴の「南総里見八犬伝」で出てくるせりふ。「抜けば玉散る」「三尺氷」などと、実は一体の言葉ではない。それを組み合わせちゃったのは現代の映画などである。
玉が散るとはどういう状況なのか?
玉は魂だろうか?刀を抜いて玉が散る・・・水滴がついている?刀をぬらしている?
オーブのような光だろうか?
ぎらりとした刀を抜くときに、玉のような光を発する刀かな。名刀である。名前を村雨と言うらしい。
村雨ってなによ?
強く降ってすぐにやむ雨だと。つまり驟雨。スコールだな。
「叢雨」とも書く。
そういえば「むらくも」という神剣はスサノヲがヤマタノオロチを切った剣だったな。「天の叢雲」。
そもそも日本刀には切る部分と身のあいだに「むらくも」がある。海外ではこれをダマスク、日本では波状の模様(錵・にえ)と呼ぶ。
ダマスクとは鋼の産地だったダマスカスから来た言葉。
ダマスカス鋼を刀身にとかしつけるときにできるもやもやっとした模様。
日本刀のにえも、ダマスクも、つまりはつなぎめの群雲模様のことだ。
というわけで、剣にはムラクモがもともとある。刀は背の部分と刃の部分で鉄の
創り方が違うものをくっつけてつくる。ちゅ~~~~っとくっつけるので鋳造である?うそよ。
刃ははがねでできている。はがねは鍛造してつくり、切れ味がよい。これがないと刀は切れない。包丁も同じようにする。よく見ると二層に分かれてるでしょう?切れる部分が刃(やいば)。全体が刀(かたな)である。
むらむら、もやもやした模様なので、じっと見ているともやもやっと切りたくなるわけね。
これがまあムラクモですな。
刀を芝居で町人が「やっとう」などと言っていることがある。あれは掛け声から。
「やあっ!とうっ!」と叫んで切るから。町人独特の感覚表現だ。
奈良の石上神宮に行くと刀の資料館が在る。茨城の香取神宮にもある。両方ともに物部氏の神社である。古代豪族物部氏は祭祀といくさの氏族で、武士を言う「もののふ」の語源も「もののべ」からだと言う。「もの」とは「モノ」で、霊的なことすべてをあらわす。物の怪の「モノ」と同じである。
その物部氏の祭るご神体が「ふつのみたま」。
「ふつ」とは刀を振ると風を切る音が「ふっ」と聞こえるところから。
ほら「たま」が出てきた。やはり玉は刀の魂だ。
たまげた!!ってよく使う?
あれは魂が出た、上がったという意味。
琉球ではこれを「うんたまぎるー」と言う。
「うん」は「うん!」という力をこめた感嘆の語。
「たまぎるー」が日本語の「たまげた~~~」である。
驚いたときに使う。
男しかわからんかも知れんが、男は驚いたとき、突然怖いとき、ぞわぞわ~~っと背筋が寒くなる。下の玉もちじみあがるので、たまげるわけである。
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