カテゴリ: 邪馬台国研究

にほんブログ村中国でたった一枚だけ出たとされた神獣鏡、もちろんご存じだろう。古い墓地からたまたま出たとされ、それを農夫が街頭骨董屋に売り、それをしろうと考古学研究者が譲り受けて公表した・・・これが経緯であるが、その古代史研究者は要するにただの日本史好事家 ...

「歩は本来距離の単位で,左右の足を1回ずつ運んだ距離であり(その半分は跬(けい)),それと尺との関係には変遷があったが,方1歩の歩の大きさの実態はさほど変化しなかったといわれる。【三宅 史】。…」コトバンク跬「後漢・魏の時代の一歩は六尺なのですが、後漢と魏では ...

にほんブログ村予告しておいた邪馬台国参考文献と展示資料館一覧は、あまりにも多すぎて書写していると死ぬので、勝手に探してください。中村の著作の最後にも掲載があります。遺跡一覧に佐賀、熊本、福岡の遺跡を追補しました。●方相氏(ほうそう・し)とは中国『周礼』に登 ...

九州だけでもこれだけありますので。弥生時代、邪馬台国研究に関わる全国遺跡一覧紀元前~古墳時代前期まで含む☆マークは是非行くべき遺跡※7月2日遺跡を追加■北海道・東北地方(弥生文化には北の道もあったことを知るために)北海道 北海道では続縄文時代の遺跡となる。江別 ...

にほんブログ村中華の史書には、紀元前1世紀の頃、倭の国々が分かれて100余国だったとあるが、魏志の女王国=邪馬台国の「使約通ずるところ約30国」と変化している。これを女王の連盟国家と考えると、その数が100のたった三分の一しかないことに気づくべきではないか?する ...

邪馬台国研究について、筆者は以前には纒向遺跡の詳細報告(石野)から見て、割合大和説に寄った書き方をしたので、今回は九州に寄った書き方をしてみた。筆者は、産まれてから高校生までを九州大分県の県都である大分市のど真ん中で過ごした跡、大学は京都、仕事は大阪や近畿 ...

意味のないことをクローズアップしたがるのはマスコミとヤマタイコク大和説であろう。邪馬台国が近畿にあった証拠に丹があったことをあげる。意味がないのではないか?丹とは中国では辰砂だが、日本ではベンガラだったり、水銀だったり、確定していない。まして中国に持って ...

前回書いた奴国の初期鋳型のある工房が見つかった遺跡とは、須玖タカウタ遺跡である。https://mainichi.jp/articles/20170726/k00/00m/040/158000c2017年の夏、この発見が、北西部九州工房と奴国工房の関係をあきらかにすることになった。一番の大発見は多鈕鏡(たちゅうきょ ...

奴国は福岡県博多の那珂川よりも東部、春日市を中心として遠賀川西岸部の丘陵ふもと部板付あたりまでにあっただろう小国である。その東端には不弥国に比定できるかも知れない比恵遺跡もある。ただし魏志では戸数は2万戸と記載され、邪馬台国に次ぐ人口を抱えた大都市だったよ ...

ちょっとアルバイトで書く時間がなかったから、更新が遅くなったことをお詫びする。さて、考古学の発掘状況から見た邪馬台国である。まずは九州から始めよう。九州支持には、前回申したように、邪馬台国などは蛮族国家だからというものと、いや3世紀まで日本の先進地は考古 ...

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