カテゴリ: 邪馬台国研究

クリックお願いしますにほんブログ村「故、是に於いて、天照大御神、見畏みて、天石屋戸を開きて、刺許母理 (此三字音訓み、さしこもり 古神注07014)坐しき。爾(ここ)に高天原、皆暗く、葦原中國、悉(ことごとく)闇(くら)し。此れに因りて常夜往く。」神代紀七段  ...

図5・6北部九州と近畿の弥生集落構造比較九州2世紀まで、近畿2世紀後三世紀直前までの北部九州集落よりも2世紀後の近畿集落のほうが遺物と集落の密集度が高いことがわかる。要するに2世紀後半あたりまでに近畿地方に、人が集まりはじめている。図7 近畿中央部の防御施 ...

松木武彦『日本列島の戦争と初期国家形成』より図を借りて。考古学でわかる、奴国王は紀元前2~1世紀、すでに東へ移動していた。無駄な文章はいらない、図を見れば納得するほかない「邪馬台国東逃避」の事実。図1 奴国東へ逃避概念図 理由=漢が滅び、東アジア世界の構図 ...

三国志『魏書』東夷伝いわく、壱岐は田畑少なく食に苦労したので、南北に貿易して生計の助けとした。これすなわち海人のなりわいとなった。貿易は異文化を自由に取り込む。そこに一切のルールはない。風習、衣食住、宗教、技術・・・すべてが彼らの自由な選別によってここへ ...

卑弥呼の時代を明らかにするには纒向遺跡と吉野ヶ里遺跡での新たな発見は必要である。しかし近年、両地域での新発見が聞こえない。そこへ今回の新型コロナでのつごもりが始まり、考古学がストップしている。そもそも民主党政権が学術予算を削ったり、開発を削減したことがい ...

もう書かないと昨日申したが、今日の数値を観たら、どうしても書きたくなった。★小池百合子は鬼道を使った 数値というものは完全に見えて、実はその裏に人的操作が可能なもの。古代、邪馬台国の卑弥呼も、現代の感染地獄に似たことを経験している。それは感染などではなく ...

にほんブログ村中国でたった一枚だけ出たとされた神獣鏡、もちろんご存じだろう。古い墓地からたまたま出たとされ、それを農夫が街頭骨董屋に売り、それをしろうと考古学研究者が譲り受けて公表した・・・これが経緯であるが、その古代史研究者は要するにただの日本史好事家 ...

「歩は本来距離の単位で,左右の足を1回ずつ運んだ距離であり(その半分は跬(けい)),それと尺との関係には変遷があったが,方1歩の歩の大きさの実態はさほど変化しなかったといわれる。【三宅 史】。…」コトバンク跬「後漢・魏の時代の一歩は六尺なのですが、後漢と魏では ...

にほんブログ村予告しておいた邪馬台国参考文献と展示資料館一覧は、あまりにも多すぎて書写していると死ぬので、勝手に探してください。中村の著作の最後にも掲載があります。遺跡一覧に佐賀、熊本、福岡の遺跡を追補しました。●方相氏(ほうそう・し)とは中国『周礼』に登 ...

九州だけでもこれだけありますので。弥生時代、邪馬台国研究に関わる全国遺跡一覧紀元前~古墳時代前期まで含む☆マークは是非行くべき遺跡※7月2日遺跡を追加■北海道・東北地方(弥生文化には北の道もあったことを知るために)北海道 北海道では続縄文時代の遺跡となる。江別 ...

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