カテゴリ:秦氏研究いろいろ > 秦王国の考古学

昨日の記事で、考古学が北野廃寺を広隆寺の創建と見ることを書いた。それは昨今、定説化したかに見えるが、さて?それでいいのだろうか?この説の提唱者は考古学者の田辺昭三である。彼は北野平野神社近くで出た北野廃寺跡遺跡こそが太秦の広隆寺の前身だと信じて疑わな ...

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ豊前国豊津に居住していた記録が残る丁勝(ちょうのすぐり?ていのかつ?)一家の戸籍。http://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:2UTHrnT_AH0J:teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/33699/1/5_06.pdf+%E4%B8%81%E5%8B% ...

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ呰見(あざみ)大塚古墳から西北へすこしゆくと、豊前では綾塚・橘塚方墳のある勝山黒田地区にぶつかる。黒田の隣に箕田(みだ)地区があって、なんということもない農村だが、立派な前方後円墳が二基もある。ひとつは扇神社古墳 ...

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ「秦王国」有力比定地である豊前国地域には、これまで民衆横穴墓はいくつも出ているが、円墳(6世紀後半)に装飾壁画を持つものは発見されていなかった。今回は、みやこ町というかつての豊前国府があった場所で、奈良時代には秦 ...

■奈良時代から平安時代の官衙・国史跡へ答申 国の文化審議会が文部科学相に答申した20日、県内では中津市永添の長者屋敷官衙(ちょうじゃやしきかんが)遺跡が国指定史跡として答申された。登録されれば県内の国指定史跡は39件目。■「中津市が一九九六年から取り組んで ...

装飾古墳の分布の謎を解くにはどうしても船が使える氏族がいる必要がある。なぜなら、装飾古墳、線刻古墳は鳥取や出雲、香川どころか大阪、福島、茨城、東北にまで存在しているからだ。これだけの広範囲に装飾葬送が広まるには、実際に九州にまで葬儀を見に来たか、九州人が ...

これまでKawakatuがこのブログで調査してきた九州の装飾古墳に関わる氏族は以下のとおりである。九州の日下部氏に関するKawakatuの諸論考http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%C6%FC%B2%BC%C9%F4%BB%E1&sk=1九州の的臣に関するKawakatuの諸論 ...

これはまだ九州北部と瀬戸内・日本海とに限った分析であるが、5世紀から6世紀かけてほぼ同時代(倭五王時代)に、豊前上毛郡の穴ヶ葉山古墳群を中心として、線刻画を持つ人々と、円文を持つ人々のすみわけと共栄があったらしき痕跡を証明しようとする試論である。論拠とし ...

以前の記事で竹並横穴墓群を「秦氏のいた場所ではないだろう」と書いてしまったが、実際には確かに一部横穴様式には隼人系のものがあるとしても、同時に多くの渡来系土器が出土している。横穴墓であるから渡来系とは行っても実務を行う秦の民=秦部の使った土器であろうかと ...

豊前から筑豊の田川郡にかけて「墳丘を持つ横穴墓」という過渡期的な特殊墳墓が見られる。最古のI期のものが大分県中津市の上ノ原横穴墓群から4基見つかっており、その後も民衆墓であるはずの各地の横穴墓群の中に何基かずつ発見されている。Ⅰ期大分県中津市上ノ原横穴墓群 ...

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