室町時代の代表的建築・慈照寺金閣家の作りやうは、夏をむねとすべし 吉田兼好『徒然草』第五十五段 鎌倉~南北朝時代に兼好法師は生きていた人。この時代は平安の安定した温暖化が終わり、気候変動期に入り寒かった時代で、平家台頭、そして滅亡、源氏滅亡、鎌倉幕府終 ...
カテゴリ:民族学・民俗学・地理・地質 > 中世・近世史から・年表をつなぐ
源頼朝大姫入内計画/信長は「敦盛」を舞わない/エンタシスはヘレニズム文化ではない
源頼朝大姫入内計画/信長は「敦盛」を舞わない/エンタシスはヘレニズム文化ではない2012年10月19日 19:59軽いけれど意味深い話題三題。1 頼朝の大姫入内構想の意味は源頼朝といえば、日本全国の人が、武家社会を初めて現実化した英雄であると思い込んでいる人物で、そう ...
曾我兄弟と工藤氏・伊東氏 頼朝暗殺と一番得したのは誰か
歌川国芳 曽我五郎仇討ち図曽我五郎時宗曾我十郎・五郎 なぜ兄が十郎で弟が五郎?2011年08月15日 12:05曾我十郎・五郎 話の顛末カワヅザクラの名所にいた父 「源頼朝公は流人となって、伊豆伊東祐親(いとう・すけちか)の館に居た。其徒然を慰めんと安元二年(一一七六) ...
鎌倉殿と北条氏に関するいくつかの疑義・大河ドラマを百倍楽しく見る方法
すでに教科書から消えている伝・頼朝像実際には衣装の柄は足利氏の家紋である。今年のドラマは「鎌倉殿の13人」。さて頼朝と北条氏の確執と言うものがあったかどうかは常に問題になる話題。脚本の三谷幸喜はそこんところを扱うかどうかは筆者にも興味ぶかい。源頼朝と北条義 ...
#『三河物語』 と #徳川家康出自 #秦氏か? #家康はタイで死んでいない
真鯛のてんぷらたいのてんぷら - Google 検索「『三河物語』(みかわものがたり)は、江戸時代初期に旗本の大久保忠教(彦左衛門)によって書かれた、徳川氏と大久保氏の歴史と功績を讃えた家訓書である。」三河物語 - Wikipedia旗本御家人 - 18. 三河物語(みかわものがたり ...
埋もれた黒い大阪城
かつて大阪城は黒かった。漆黒の城は秀吉好み、城は家康好みとよく言われるが、家康が建てた今の大阪城は白く、本来は漆黒だった。大坂夏の陣屏風に描かれた大阪城は確かに黒い。それを復元した模型。それぞれ「黒い大阪城」検索にヒットした画像。MEk83vKwOST2dhNR6YIefPC7q ...
脛巾=「はばき」の服飾史 始まりは?
三省堂・全訳読解古語辞典より脛巾 はばきは「脛巾裳」の省略語で、その歴史は平安時代~室町。その後脚絆 きゃはんに変化した。にわばニッカ―ポッカ―だが、飛鳥時代以前はない。飛鳥以前男子のズボンは、褌=はかまのひざの部分をしばった。だから脛巾が語源のアラハバ ...
織田信長と津島神社明智光秀と岐阜船木氏、天海は船木氏出身
簡単に書こう。織田家にはもうひとつ愛知で尊崇する神社がある。愛知県の津島神社(津島牛頭天王社)である。祭神はもちろんスサノオで、ご神文は木瓜である。(もっとも、信長はほかにも6つも家紋を持っていたが)ここは信長以前の父親から続く尊崇。この「つしま」は対馬に由 ...
織田信長と継体大王、明智光秀と筑紫君磐井 信長の目は故地高句麗を観ていたか? 奇想天外戦国物語その1
にほんブログ村ぽちっとよろしく!!●織田信長故郷は越前・織田氏出自は高句麗か?1越前織田・劔神社「劔神社の創祀は悠久の昔、遥か北に仰ぐ座ヶ岳の峰に素盞嗚大神を祀り、〝劔大神〟と称えたことに始まります。神功皇后摂政の頃、第十四代仲哀天皇の第二皇子忍熊王は、 ...
光秀と家康の密約
積年の敵対子孫同士が握手?geinousite.whdnews.com/p/1703/IoaPf66A1.html大河ドラマで来週から明智光秀をやるらしい。『麒麟がくる』だ。キリンとか希林ではなく、麒麟。池端俊策の原作脚本。まあ、定説を大きく上回ることのなさそうなものとなるだろう。長年、Kawakatuに ...