カテゴリ:考古学 > 日本海学

「今のところ、ふつう井戸というのは、弥生時代から出てきます。第一〇回春日井シンポジウムで発表しました福井県の堀大介さんの「井戸の成立とその背景」(『古代学研究』第146号 1999)という論文を読んでみますと、弥生時代の井戸が出はじめる遺跡は、青銅器を製 ...

国譲りが出雲であった理由には、日本海貿易港としての宍道湖=縄文海進時代からの素尊遂道(すそんすいどう)の持っている至便さを考え合わさないわけには参りません。出雲は大陸へ向かうすべての船にとって、最高の港でした。ゆえに出雲は、「大和とも北部九州とも違う文化 ...

■遠所遺跡京都府弥栄町(丹後半島中央部)「古墳時代後期から平安時代にかけての複合遺跡で、特に奈良時代における製鉄から精錬・加工までの一貫した生産工場があったことがわかる貴重な古代遺跡である。丘陵の尾根に階段状に続く24基の古墳群、鉄生産の始まりを考える上 ...

「北の海ッ道」をつなぐ潟湖は縄文時代中盤から古墳時代前期にかけて日本海の荒波をかわすよき港となった。これらの港近くにはきわめて高層の巨大栗によって建てられた「古代の灯台」「目印」が作られた。海から寄り来る貿易者にとってそこは目的港だったのであろう。面白い ...

先日のこの驚くべきニュースに対して、そこから日本人起源を語れと言うご要望があった。しかし、あまりに時間枠がはみ出しすぎているため、手がつけようがないのが正直なところである。これまでの常識では、沖縄の港川人が最古で3万年ほど前。少なくとも本土にやってくるの ...

島根県松江市田和山(たわやま)遺跡→http://www.city.matsue.shimane.jp/jumin/bunka/bunka/bunkazai/tawayama/index.htmhttp://www.pref.shimane.jp/section/bunkazai/about-shiseki/shiseki03.html日本海西部雲伯を代表する名山・大山名峰大山(だいせん)、樋野茶臼山に ...

土井ヶ浜遺跡は山口県下関市の日本海側、豊北町の海浜から出土した弥生時代の300体以上の人骨群の総称。遺存状態が良好なうえに、人骨の特徴が縄文人とはあきらかに異なるために中国江南人の渡来モデルとして注目されてきた。これに対して直接調査に当たった経験から、島 ...

弥生時代、卑弥呼の時代の古志の土器の多くは、山陰から丹後地方の影響を受けた凹線紋土器(おうせんもんどき)で、墳墓は北部九州や大和に多い方形周溝墓と出雲型四隅突出型墳が同居するのが特徴だ。つまり九州から日本海、畿内までに及ぶ地域との交流が古志にはあったとい ...

続いて登場する日本海の首長は丹後と若狭である。丹後地方の弥生墳丘墓はほぼ方墳であるが、出雲とは違って四隅を突出させない。出雲から古志への日本海ルートの真ん中にありながら、ここだけは別の方墳文化が栄えた。これを方形貼石墓という。これは北部九州における方形周 ...

弥生時代に全盛期を迎え、その後衰退してゆく地方共同体を、日本海を中心に少し考古学的見地から眺めてみたい。出雲、丹後、若狭、越前、越後、そして越中という、大和や九州とはちょっと違う古墳のある地域である。第一回目はまず出雲から始めてみたい。出雲と言えばまず糸 ...

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