カテゴリ: 秦氏研究いろいろ

●蔚珍郡もともと北の蔚珍、南の平海に2つの行政官が置かれていた。現在の蔚珍郡の枠組みができたのは植民地時代に規模の小さな両郡が統合されて以降である。 古代には高句麗と新羅が争奪した。 朝鮮王朝時代には空島政策をとっていた鬱陵島を平海郡守が管轄した(鬱陵郡 ...

広隆寺の謎 5 ですでに書いたが、太秦由来だけを切り取って書き足し、再度貼り付けておきたい。検索を意識しての再掲載ですので特にナイスは無用です。「うずまさ」とは、うづたかく献上物を差し出したから拝領したというのが文献にあるが、定かではなく、「うつ」と ...

予備知識として一つ前に過去記事「京都葛野郡太秦の古墳一覧」記事を再掲載してあります。太秦広隆寺のちょうど北側におどろおどろしい古墳がある。https://kyoto-option.com/blog/hebiduka-tumulus/蛇塚古墳(へびづか・こふん)という。盛り土のすべてが長い年月と伏見地 ...

葛野(かどの)郡は大正時代に衣笠村が京都市上京区に編入。 朱雀野村・大内村・七条村、西院村の一部が京都市下京区に編入。 昭和6年に嵯峨町・花園村・西院村・太秦村・梅ヶ畑村・梅津村・京極村・松尾村・桂村・川岡村が京都市に編入。などしている。http://ja.wikipedia ...

いさら井 (いさらい) 京都市右京区太秦蜂岡町 (市バス:太秦開町 嵐電線:太秦広隆寺駅)  「【日猶同祖論】という摩訶不思議な説が存在する。かいつまんで言うと、日本人とユダヤ人とは祖先が同じである、日本人の祖先は“消えたイスラエル十部族”の末裔である ...

平安京条里の再現プロジェクトは昭和のはじめに、建築史の福山敏男が手がけ、田辺昭三や中村修也が信じ込んだ、「平野そばに九条も五条もあった」意見のきっかけになった。しかし福山の書いているのは、五条荒蒔は紙屋川(天神川・荒見川)によって北にある今の太秦広隆寺 ...

昨日の記事で、考古学が北野廃寺を広隆寺の創建と見ることを書いた。それは昨今、定説化したかに見えるが、さて?それでいいのだろうか?この説の提唱者は考古学者の田辺昭三である。彼は北野平野神社近くで出た北野廃寺跡遺跡こそが太秦の広隆寺の前身だと信じて疑わな ...

◆京都の要石「六角堂へそ石」 「多くの人や車が行き交う烏丸通から六角通を東に入る。間もなく現れる山門の奥に、静かな境内が広がる。ハトが群れをなし、せせらぎの音が心地よく響く。中央に建つ重厚な六角形の本堂が六角堂で、そのまま寺の愛称になった。 正式な名称は ...

これまで秦氏の伝説上の祖神である弓月君(ゆつきのきみ、ゆんずのきみ)についてはいくつかの自説を書き並べてきたが、筆者自身、いまひとつ納得がいかないところもあった。今回、かなり納得できる説が見つかったので書き留めておく。弓月を、これまでは月読神=王家、太 ...

現在の桂川渡月橋の堰。これは段差施設だけで、本来の大堰施設ではまったくない。大堰のスケールはもっと巨大で勇壮である。「京都嵐山を流れている「大堰川(おおいがわ)」は、丹波山地の大悲山付近に源を発する川ですが、嵐山の付近では「大堰川」と呼ばれています。 ...

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