民族学伝承ひろいあげ辞典

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カテゴリ:記紀異説・神話分析 > 律令日本を創った男藤原不比等考

『日本書紀』壬申の乱の行程671年     郭務悰ら唐の使者来朝、軍隊の援助を要求。12月3日天智天皇死去。         大友皇子、唐援軍を決定。672年(壬申) 大海人皇子=天武は天智の死の直前から吉野に隠棲していた。そこへ五月になって朴井連雄君( ...

日本国が真の意味で国際的に国家と認識される中央集権国家に抜け出したのは、天智・鎌足の模索的な律令政治から、嫡子・大友皇子が「太政大臣」を名乗る頃からだったと言える。■「太政」とは「国家、あるいは皇帝の政治」という意味の国際政治用語である。大友皇子の太政大 ...

大山誠一も書いていることだが、日本の天皇というものはそもそも藤原不比等がはじめ、藤原氏を光り輝かせるための存在から開始されているようである。その前の蘇我飛鳥王朝までは「天皇」もいなければ、皇室もない。蘇我大王家こそが大王だったのである。この時点では天皇を ...

蘇我馬子は実質の大王だった。この時点で馬子の妻だった太媛(物部布都媛、大刀自)の存在が次第に気になり始めるのではなかろうか?女帝推古はいなかった。では権力者・蘇我馬子に物部守屋をうたせ、祭祀の実権と土地・財力のすべてを手中にした太媛とは、実は大王を動かせ ...

『日本書紀』虚像としての任那日本府 中央集権への道3 元興寺と王興寺まで http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/49684415.htmlすでに昨年ここに啓上した上の記事をまず再確認しておきたい。538年に同じ百済の聖明王が倭国蘇我王朝に贈ったのは経典と仏像だけであっ ...

わたしたちは仏教伝来は『日本書紀』記述ではなく『上宮聖徳法王帝説』『元興寺伽藍縁起』の記述から「聖徳太子ごさんぱい」つまり538年と習った。父たちは552年という『日本書紀』の記述をそのまま習った。仏教伝来とひとことで言う場合、それは国家として正式に仏教 ...

★4法隆寺金堂薬師如来像光背銘文偽物の根拠●「天皇」「大王天皇」「東宮」などの使用が仏教導入前の飛鳥時代にはまずない。天皇の最古の使用例は飛鳥池遺跡出土の木簡で、これも天武・持統時代の木簡である。中国では唐の高宗の時代に、国王の姓が老子と同じ李だったため ...

■律令国家日本の開始はすべて藤原不比等以後わたしたちは大化の改新は645年だと教わった。しかし今の教科書では645年は蘇我氏が暗殺された乙巳の変であり、大化の改新は翌年、さまざまの律令が成文化して発せられた646年とされている。歴史は生きている。どんどん ...

ここ10数年間で、歴史愛好家たちの間にも、専門家たちの間でも、「どうも『日本書紀』や『古事記』の言っていることにはウソがあるのではないか?」という考え方がかなり増幅してきているようである。それはちょうどバブルの崩壊が起こった1999年あたりから急激に現実 ...

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