民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

カテゴリ:記紀異説・神話分析 > 律令日本を創った男藤原不比等考

6 大化の改新と摂津三嶋の有力者  2007年12月21日(金)13時33分47秒編集済 藤原鎌足が乙巳の変(大化の改新前の事件)を実行する前に摂津の三島郡に隠棲していたことは前にも書きましたが、鎌足は以前から入鹿誅殺を画策していたらしく、三島隠棲の間に実に様々な人物と ...

経津主神の後裔と伝える氏族 「経津主神を遠祖とする氏に関しては、歴代をあげる系図を伝えるのは下総の香取連くらいです。その本拠地・香取郡が東南隣の匝瑳(そうさ)郡と西北隣の信太(しのだ)郡に挟まれており、前者の物部匝瑳連も後者の物部志太連(信太連)も共に物部小 ...

sikanosimajinnja 前の記事にある「鹿の島の神」とは福岡県の志賀島神社のことになるが、それを筑後に勘定して高良大社がある。ここは武内宿禰を祭ってある。これすなわち中臣氏の祭るところ。なぜそうするかと言えば、『日本書紀』に藤原氏は筑紫国造磐井が継体大王によっ ...

岸俊男『日本古代政治史研究』所収「たまきはる内の朝臣―建内宿禰伝承成立試論―」について日本がまだ戦後まもなくで、イデオロギーが一時的に敗戦思想となった右から左へ、一気に偏った時代だった。それでも日本の史学世界には、まだまだ戦前の皇国史観や、天皇を中心の、 ...

にほんブログ村弓削の道鏡は、藤原氏が恵美押勝の乱で実権をなくした一時期に、突如称徳女帝の愛人として宮中に出現する。すると同時に、土佐に葛城の神だとする土佐大神が祀られた。この神は葛城一言主であり、アジスキタカヒコネであるとされた。祀ったのは秦忌寸石勝(はだ ...

にほんブログ村にほんブログ村大山誠一は『神話と天皇』の最後に、武内宿禰は中臣鎌足のモデルであるとしている。これまで、武内宿禰は「内臣(うちつおみ)」の代表であり、史学では、そのモデルは蘇我馬子ではないかとされてきた経緯がある。内臣とは宰相であり、古代では摂 ...

「近江は、『古事記』では「近淡海(ちかつあはうみ)」「淡海(あはうみ)」と記されている。7世紀、飛鳥京から藤原宮期の遺跡から見つかった木簡の中には、「淡海」と読めそうな字のほか、「近淡」や「近水海」という語が見えるものがある。「近淡」はこの後にも字が続いて ...

一巳の変かつて645年は大化の改新と教えられていた。おかしいことなのはすぐわかる。律令による政治・法律の改新と、クーデターで蘇我氏が滅んだことは別の事柄である。645年は蘇我本家が殺された年であり、大化の改新が行われたのは翌年の646年である。したがって今の教 ...

「藤原不比等は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当 ...

さて大山誠一『神話と天皇』を題材にした今回の分析もいよいよ大団円を迎える。大山誠一の勘違いを最後に。『日本書紀』の天孫神話が、現実の持統天皇王朝の正当性、天皇の正当性のために造作された観念だと言う大山の説は正しい。そこに齟齬はない。しかし前の記事にも ...

↑このページのトップヘ