カテゴリ:記紀異説・神話分析 > 律令日本を創った男藤原不比等考

sikanosimajinnja 前の記事にある「鹿の島の神」とは福岡県の志賀島神社のことになるが、それを筑後に勘定して高良大社がある。ここは武内宿禰を祭ってある。これすなわち中臣氏の祭るところ。なぜそうするかと言えば、『日本書紀』に藤原氏は筑紫国造磐井が継体大王によっ ...

岸俊男『日本古代政治史研究』所収「たまきはる内の朝臣―建内宿禰伝承成立試論―」について日本がまだ戦後まもなくで、イデオロギーが一時的に敗戦思想となった右から左へ、一気に偏った時代だった。それでも日本の史学世界には、まだまだ戦前の皇国史観や、天皇を中心の、 ...

にほんブログ村弓削の道鏡は、藤原氏が恵美押勝の乱で実権をなくした一時期に、突如称徳女帝の愛人として宮中に出現する。すると同時に、土佐に葛城の神だとする土佐大神が祀られた。この神は葛城一言主であり、アジスキタカヒコネであるとされた。祀ったのは秦忌寸石勝(はだ ...

にほんブログ村にほんブログ村大山誠一は『神話と天皇』の最後に、武内宿禰は中臣鎌足のモデルであるとしている。これまで、武内宿禰は「内臣(うちつおみ)」の代表であり、史学では、そのモデルは蘇我馬子ではないかとされてきた経緯がある。内臣とは宰相であり、古代では摂 ...

「近江は、『古事記』では「近淡海(ちかつあはうみ)」「淡海(あはうみ)」と記されている。7世紀、飛鳥京から藤原宮期の遺跡から見つかった木簡の中には、「淡海」と読めそうな字のほか、「近淡」や「近水海」という語が見えるものがある。「近淡」はこの後にも字が続いて ...

一巳の変かつて645年は大化の改新と教えられていた。おかしいことなのはすぐわかる。律令による政治・法律の改新と、クーデターで蘇我氏が滅んだことは別の事柄である。645年は蘇我本家が殺された年であり、大化の改新が行われたのは翌年の646年である。したがって今の教 ...

「藤原不比等は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当 ...

さて大山誠一『神話と天皇』を題材にした今回の分析もいよいよ大団円を迎える。大山誠一の勘違いを最後に。『日本書紀』の天孫神話が、現実の持統天皇王朝の正当性、天皇の正当性のために造作された観念だと言う大山の説は正しい。そこに齟齬はない。しかし前の記事にも ...

http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/index/7「1998年に奈良国立文化財研究所が、飛鳥池遺跡から出土した木簡の中に、「天皇」の語が墨書きされたものがあると発表した。この木簡は飛鳥池遺跡の北地区の、持統朝を下限とした溝のさらに下層から出土しており、同じ ...

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