カテゴリ:考古学 > 京都学

予備知識として一つ前に過去記事「京都葛野郡太秦の古墳一覧」記事を再掲載してあります。太秦広隆寺のちょうど北側におどろおどろしい古墳がある。https://kyoto-option.com/blog/hebiduka-tumulus/蛇塚古墳(へびづか・こふん)という。盛り土のすべてが長い年月と伏見地 ...

いさら井 (いさらい) 京都市右京区太秦蜂岡町 (市バス:太秦開町 嵐電線:太秦広隆寺駅)  「【日猶同祖論】という摩訶不思議な説が存在する。かいつまんで言うと、日本人とユダヤ人とは祖先が同じである、日本人の祖先は“消えたイスラエル十部族”の末裔である ...

平安京条里の再現プロジェクトは昭和のはじめに、建築史の福山敏男が手がけ、田辺昭三や中村修也が信じ込んだ、「平野そばに九条も五条もあった」意見のきっかけになった。しかし福山の書いているのは、五条荒蒔は紙屋川(天神川・荒見川)によって北にある今の太秦広隆寺 ...

昨日の記事で、考古学が北野廃寺を広隆寺の創建と見ることを書いた。それは昨今、定説化したかに見えるが、さて?それでいいのだろうか?この説の提唱者は考古学者の田辺昭三である。彼は北野平野神社近くで出た北野廃寺跡遺跡こそが太秦の広隆寺の前身だと信じて疑わな ...

久しぶりに歴史、京都を扱う。広隆寺と秦氏と本尊の変遷資料 広隆寺縁起、『日本書紀』、広隆寺来由記、承和縁起、秦氏本系帳逸文、上宮聖徳法王帝説など『日本書紀』推古紀603年11月 秦造河勝に命じ蜂岡寺(太秦寺、広隆寺)を造る 皇太子が天皇に願って大楯と ...

夏の京都、祇園さんの時期になった。祇園祭は17日に始まるが、山笠巡行ばかりが祇園祭ではなく、24日まで延々つづく夏越し(なごし)の祭り(神幸祭・還幸祭など、17日・24日夜にみこしが練り歩く)である。巡行以外にも、さまざまのイベントが各路地裏で繰り広げられている ...

京都に道祖神は多い。有名なのは神社になっていて、下京区には二箇所ある。ひとつは京都駅すぐ西の塩小路堀川角にある道祖神社、もうひとつは松原通りにある松原道祖神社。松原道祖神社https://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/54800827.html?__ysp=5p2%2B5Y6f6YGT56WW56We ...

あいだに北大阪地震があり、久しぶりの京都ディープ。晴明再登場です。おまたせしました。その1の続きです。1はこちらからhttps://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/58251410.html★京都ディープ 4 安倍晴明、正しい墓所と正しい晴明神社のありかを探す2★なぜ晴明坐 ...

一条堀川の晴明神社(堀川今出川下る)現在の晴明神社はちょうど安倍晴明が天文(陰陽道)を上賀茂神社神職だった賀茂忠行親子から学んだその賀茂氏の、もうひとつの神社・下鴨神社がある今出川の二川合流地点の河合から、今出川通りで真西にある。知らぬものは少なかろう ...

●説教節「さんせい太夫」と森鴎外の「山椒大夫」「岩城の判官正氏の御台所、その子安寿とつし王(厨子王)が、帝から安堵の令旨を賜るべく都へと向かう途中、人買いにたぶらかされて親子離れ離れに売られ、姉弟は丹後の長者「山椒太夫(三庄太夫)」のもとで奴隷として ...

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