民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

カテゴリ:記紀異説・神話分析 > 氏族分析

ゲンダ 【源田】5 日本姓氏語源辞典栃木県、石川県、埼玉県。①地形。源氏と田から。栃木県足利市大沼田町が本拠。同地では八幡神を氏神とする。同地では農業に従事していたと伝える。推定では江戸時代。石川県白山市小柳町ではげんべさの屋号で農業に従事していたと伝える ...

盾型鏡と蛇行剣が出て、円墳で、4世紀後半となると推定できる氏族はほぼ決まってくる。  富雄丸山古墳は、奈良県奈良市丸山にある古墳。形状は円墳。史跡指定はされていない。出土品は国の重要文化財に指定されている。 円墳としては全国で最大規模の古墳で、4世紀後半頃の ...

しばらく法事やら雑事で忙殺されて久々の記事である。蘇我林大郎(太郎)は蘇我入鹿の別名。古代氏姓(うじ・かばね)制度によった書き方である。氏姓制度では、貴族・武家はこれに従って名のるのを旨とした。読みは「そがの・はやしの・たろう・いるか」。つまり「りんたろう」 ...

再掲載●吉士(きし)とは何か?「古代朝鮮において「王」・「首長」を意味する称号「於羅瑕」(「鞬吉支」)が渡来人の称号として日本で用いられ、やがてそれが姓となり、また氏ともなったらしい。本居宣長の『古事記伝』によると、新羅の17等の京位(中央役人の官位)中の14 ...

桓武平氏の祖という葛原(かずらわら)親王という人がいた。母親は多治比氏の人だが、桓武の正妻が藤原氏だったので、藤原と名乗りたいところをはばかって葛原とした。これはのちの堂上氏だそうである。葛原親王 - Wikipedia子孫には歌人の周防内侍がいる。さて藤原と葛原はほ ...

翹岐記事の分析 『日本書紀』はまったくの出鱈目本か? : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp) 翹岐(ぎょうき、生没年不詳)は、百済の王族。 百済最後の王である義慈王(在位:641年 - 660年)の弟の王子とされているが、義慈王の王子で、日本に人質に出されていた扶余 ...

写真と記事はぜんぜん関係ありません。土師氏(はじ・うじ)というのはのちの菅原道真公の祖先で、四腹あったとされ、菅原・大江・秋篠・土師の四つの姓がある。九州では、ほとんどは道真に関わる菅原を冠する神社や地域が多い。では道真さんに関わって一族が来ただけなのかと ...

三島は「みしま」。三島と書くが本来は神がいる山なので「御島」である。最古は「伊予国風土記」逸文にあるように摂津国にある百済から光臨した大山祇神を祀る三島鴨神社である。これもともと四国河野氏の祀ったもので、あとで河野氏が瀬戸内のしまなみ海道にある大三島大山 ...

画像は本文とは関係ありません。ワクチン接種会場に用意されていたままごとセット。子供を連れてきた人のためだろうか?日本人の人名には、歴史的に由緒ある貴族や武家のもの(ウジ・カバネ)、その家臣団以下のもの、明治以降にそれにならって名乗ったもの、地名由来、そして ...

 ■『播磨国風土記』印南郡大国里(兵庫県加古川市神吉町~高砂市伊保辺り)の条「此の里に山あり。名を伊保山(高砂市の山・下に地図あり)といふ。帯中日子命を神に坐せて、息長帯日女命、石作連大来を率て、讃岐の国の羽若の石を求ぎたまひき。彼よりり度り賜ひて、、未だ御 ...

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