カテゴリ: 考古学

にほんブログ村哲学する文科系生物学者・福岡伸一が「化石博士」宮田真也に質問をしている。福岡著書『ナチュラリスト 生命を愛でる人』。新潮社2018・11宮田真也学校法人城西大学 水田記念博物館大石化石ギャラリー 学芸員「化石博士」の異名持つ化石マニアhttps://researc ...

 「約9万年前の阿蘇山大噴火で発生した火砕流でなぎ倒された流木群が大分県日田市にある有田川の川底から見つかった。阿蘇山から北に約50キロ離れた地点。」https://news.yahoo.co.jp/articles/4e29272ae3d224f47fd87d3e0ef48193e62a643a日田市内で三例目。「 樹木は表面が ...

20186月年過去記事スロースリップ解説から転載このときも、千葉でゆっくりすべりによる地震があった。今朝の地震もそれだろう。それで再掲載します。四国でスロースリップが起きている!サイトより https://fusitan.net/0211/プレートの滑り込みの速度は状況によってさ ...

下仁田の玦状耳飾り、石材は 軟玉などの点在する炭酸塩岩が主成分の透閃石以下に専門家の分析記事を部分引用する。下鎌田遺跡の玦状耳飾の蛍光 X 線分析とその再評価Portable XRF reevaluation of a slit-earring from Shimokamata site, Shimonita, Gunma中 村 由 克*1 ...

柔らかい豆腐調査記事の前に硬い岩石について割込み記事にしておこう。 「下仁田町教育委員会は、同町馬山の下鎌田遺跡で発掘された縄文時代の石製装身具「玦状耳飾(けつじょうみみかざり)」を成分分析した結果、日本では確認されていない石材だったことが分かったと発表 ...

もう一度概念図を観てみよう今度は横にしてみる。縄文文化はシベリアから南北海道へ入ると南西へ動いた。弥生文化は中華から北部九州へ入ると北東へ動く。弥生時代に、東から西へ 動いたのは文化よりも「人」である。なぜか?中華文明の断片を早く摂取するためだ。それが国家 ...

にほんブログ村ぽちっとお願いします。蕎麦は世界でも最も古くから食べられていた食品。古代エジプト王も食べていたし、日本では9000年前の土壌から蕎麦の花粉が出たし、東北縄文土器からも蕎麦の痕跡も見つかっている。調理法は不明だが、おそらく団子にするか、柔らか目に ...

図5・6北部九州と近畿の弥生集落構造比較九州2世紀まで、近畿2世紀後三世紀直前までの北部九州集落よりも2世紀後の近畿集落のほうが遺物と集落の密集度が高いことがわかる。要するに2世紀後半あたりまでに近畿地方に、人が集まりはじめている。図7 近畿中央部の防御施 ...

松木武彦『日本列島の戦争と初期国家形成』より図を借りて。考古学でわかる、奴国王は紀元前2~1世紀、すでに東へ移動していた。無駄な文章はいらない、図を見れば納得するほかない「邪馬台国東逃避」の事実。図1 奴国東へ逃避概念図 理由=漢が滅び、東アジア世界の構図 ...

にほんブログ村長崎県壱岐の島を旅した遺跡紀行の再編集。HPの更新はしなくなっていて、そろそろ削除したいから、記事をここへ移しておこうと考えている。そのままコピペじゃつまらないから、かなり加筆し、画像も増やして。その第一回が「日本人原点の島壱岐・月読と海人」 ...

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