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放送禁止歌一覧
楽曲一覧 プレイリスト紹介
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竹田の子守唄 (シングル・バージョン)
赤い鳥

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ヨイトマケの唄
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黒沢年男 - 媚薬
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黒沢年男

高田渡
自衛隊へ入ろう

山平和彦
『放送禁止歌』

なぎら健壱
『悲惨な戦い』

憂歌団
おそうじおばちゃん


参考サイト
0845夜 『放送禁止歌』 森達也 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

放送を禁止自粛された音楽たち。 - KKBOX
このサイトでは曲が聴けます。

著作 森達也 『放送禁止歌』光文社 2003年


このドキュメンタリーは2年前にフジテレビの深夜に放映され、ぼくも偶然に見た。ただし見たのはその後半だけで、エンディングに岡林信康の超A級放送禁止フォーク『手紙』が流れた。「わたしの好きなみつるさんは おじいさんからお店をもらい 二人一緒に暮らすんだと うれしそうに話してたけど 私といっしょになるのだったら お店をゆずらないと言われたの」で始まる。黒画面にタイムコードだけが動いていた。

 3番になって「もしも差別がなかったら 好きな人とお店が持てた 部落に生まれたそのことの どこが悪い なにがちがう 暗い手紙になりました‥‥」というふうに進む。名曲である。本書によると、著者はこれを3分にわたって何もない黒画面だけで流すつもりだったらしい。それをタイムコードを入れたのは局側の注文だったようだ。(中略)

ところが本書がしだいにあきらかにするように、放送禁止歌というものは「幻想」だったのである。「実在」しないのだ。そのような事情があったからこそ、このドキュメンタリーは成立し、本書が読ませるものになった。しかし「実在」しないなら、どこで放送禁止歌はつくられたのか。」松岡正剛

放送禁止歌がある西側国家は日本だけだろうと思う。
すべてが名曲なのに、いわゆる放送局側の忖度、自主規制、ある組織からの弾圧などでいつしか知らぬ間にテレビやラジオから消されていったようだ。
 放送禁止歌になった“理由”にはいろいろのものがあるのだろうと“憶測”できる。

 高田渡の『自衛隊に入ろう』は自衛隊からは使いたいと申し入れがあったらしいのに、各局が自粛した。高田は自衛隊をからかったのに、これは二重の過誤がおこったのである。同じ高田に『スキンシップ・ブルース』がある。「いつものように いつもの夜に 頭に帽子をかぶせてしまいましょ 僕と君との岡本利研ゴム」という1番だが、いまならエイズ対策で奨励されそうな歌も、固有名詞が入っていては無理がある。
 なぎら健壱の『悲惨な戦い』は、巨漢の雷電と地獄の料理人若秩父が相撲をとっていると、マワシがほどけたという歌で、「さすが天下のNHK すぐにカメラを消せと命じたが 折も悪くもアルバイトを使っていたために アップで放映してしまったのだ」、「さすが天下の国技館 すぐに照明を消せと命じたが 折も悪くもパートタイムを使っていたために スポットライトをあててしまったのだ」とえんえん続く。これも“理由”はわかる。

 山平和彦は白井道夫作詞によるその名も『放送禁止歌』をつくって放送禁止になった。「世界平和支離滅裂 人命尊重有名無実 定年退職茫然自失 職業軍人時節到来‥」というふうに、これも四字熟語がえんえん続き、「奇妙奇天烈 摩訶不思議」のフォーク囃しが何度か入る。

 こういうものは気にすれば気になるだろうが、ジョークソングやプロテストソングとしてはそれほど“罪”があるとは思えない。まあ、気の小さな放送局が自粛したのであろう。けれども『ヨイトマケの唄』や『からっぽの世界』は差別用語が一カ所入っているだけで、禁止になった。やはり高田渡の『生活の柄』は沖縄詩人の山之内獏の有名な詩をフォークにしたものだが、「秋は 秋からは 浮浪者のままでは眠れない」の「浮浪者」がひっかかった。いまホームレスの歌というのがあるかどうか知らないが、そういう歌があったなら禁止か自粛がおこるのだろうか。」松岡正剛

そして松岡は結論的にこう書く。

 「ところが(森達也の)本書がしだいにあきらかにするように、放送禁止歌というものは「幻想」だったのである。「実在」しないのだ。そのような事情があったからこそ、このドキュメンタリーは成立し、本書が読ませるものになった。しかし「実在」しないなら、どこで放送禁止歌はつくられたのか。」

ぼくは古代史の研究をしていてすぐ気づいたのは、正史、歴史書のすべては、勝者の側の都合の良い書かれ方をしていて、敗北者の歴史書など消されてしまった。だから記録はうそばかりだし、本当の日本史を知るには史書に頼ったらただだまされるだけだということだった。その裏にある勝者が敗者を延々と差別し、なかったものとし、あげくに神社に祟り神として押し込めたりしてきたのだと気づかなければ、それは真実ではないのだということ。

桃太郎が鬼を征伐するとは、温羅という渡来人の製鉄技術を、中央が簒奪したといいうことであり、あげくに桃太郎として吉備津彦なる中央派遣のヒーロー譚を創作し、滅ぼしたことへの言い訳、正当化として童話にしてまで民衆に知らしめたということなのだ。

差別に反対する意図で差別のことを書いただけで、書いた人まで差別主義者にしてしまう傾向が日本にはいまだにある。あまつさえ、本当の被差別側からの邪魔すらある場合もある。彼らにとっては、差別があると言うことをわざわざ言い出す必要がなく、むしろ蓋をして、書かないでほしい。そうしないとかえってわれわれへの差別がひどくなる、というのはよくわかる。よくわかるが敗者の歴史にこそ真実があるのだから、少なくとも近世以前の古い歴史については、日本人の考えの基礎になることなのだから正さねばならないだろう。このブログが秦氏の研究から始まったのは、そうした必然からであった。

触らぬ神に祟りなし・・・日本人ならではの厭魅(えんみ)観念は、いまもまだこの国を支配しているのである。
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