民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

春の筆者は行動的になる。
リハビリ近くのバス停で。

Kawakatuワールドブログの、食の花束記事などにあるうんちく記事をまとめて移動させる。




日本海側で、松葉ガニのメスを「コッペ」とか「せいこ」と呼ぶ。
秋のメスは卵を持っているので「子っぺ」、「背負い子」と呼ぶのである。


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つまり「子持ちの蟹」という意味だ。

ぼくの少ない旅の経験では、若狭湾ではコッペ、そのほかでは「せいこ」「せこ」だったと思う。普通、全国で普通に売られているのはすべてオス。大きさがメスのほうが圧倒的に小さいので、経済的にメスは市場に出ないのである。

現地にいかねばコッペは食えない。だから希少価値がある。


ぼくが宮津や舞鶴の港そばに出張していたころだが、秋~冬の市場の中で、あるいは街の中で、飲み屋の中で、「そろそろコッペやなあ」の言葉は常に聞かされ。しかし、なかなか味わえない、出会えないのがコッペだった記憶がある。


道端に紅ズワイが並び、やがて松葉が並んでも、それには出会えない。そりゃそうだ、地元で消費されてしまうんだから・・・。


一般に、産卵期の蟹は「落ち蟹」と呼ばれる。鮎なら堕ち鮎で、鮭なら堕ちシャケである。下流に「落ちていって」卵を産むからだろうか?

魚卵に限らず、肝や卵がうまいのはどの生き物も同じ。で、11月にしか、そして地元でしか、これらは出回らなくなった。


ま、その濃厚さは、行って食べた人にしかわかるまい。




魚卵といえば、長崎のカラスミ、越前の「口子」が最高なんであるが、高くて手が出ない。特にクチコはお高い。理由は造る人が少ないためだろう。しかし考えてみると、なまこの内臓である。ナマコなんぞはフィジーあたりには山ほどいる。あれではだめなんだろうか?





空想だけはふくらませることができる。
今宵は、どってこともなく肉じゃがで一献うっちゃっている。
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最近、ひとりがさびしい年頃になった。
どうだろう?
あそびにこないか?おねえちゃん。

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食パンでホットドッグ。


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ちゃんとダックスフントみたいになる。

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食パンは焼くと必ず耳が固くなるもの。
 で、最初に冷凍してある食パンを、軽く蒸しておく。
すると耳までやらかくなるので、それを焼く。

こうすると折り曲げてもほんわりして裂けない。


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食パンというものは外国ではホテルかなんかで食べる朝食でしかお目にかからないパンだ。
彼らは堅いパンが好きで、食パンを柔らかいパンだとして食べない人が多い。

ホットドックにはコッペパン型パンズを使うが、あんなに大きな体なのに野球場のドッグは小さいのは面白い。大きな手で小さく見えるドッグ&ビアで観戦している。

ドッグは柔らかいパンじゃないと、噛んだ時具が飛び出して按配が悪い。蒸してから焼けばそういうことは少ないんだ。


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日本語にはままに、由来がわかりずらい言葉がある。

例えば、「へべれけ」とか「コッペパン」など。



「へべれけ」は泥酔い状態を言う形容詞で、「へべれけに酔っ払ってる」ケースだけに限定して使う言葉で、その由来は諸説あって決まっていない。ギリシアの酌をする女神の名前がつづまったものとかいうけれど、必ずしもそれでいいとは決まってはいない。

日本語の畳語(じょうご=擬音などを二回繰り返す言葉)の酔っ払った状態を表現する言葉には「へろへろ」「べろべろ」「べろんべろん」とかあるが、「へべれけ」はどうも、そういう範疇の言葉でもなさそうで、酔っ払いが泥酔いすると、まともに言葉をしゃべれなくなる状態を、日本語の決まりをぶち壊す不定形な「へろへろでべろべろで、ろれつが回らず、れろれろしているうえに、けろけろと笑う」ようなのを、語頭を寄せ集めて造ったのかと思えるように、この「へべれけ」はうまく作ってある。その意味でもとの言葉であった朝鮮語にはない表現である。

ほかには外来語が明治や戦後に勝手な日本人に言いやすい変化をした言葉がある。コッペとかコロッケなどは、明治~戦後の切り替わりの時期に、外国料理を学んだ調理師が勝手に言いやすく変化させた言葉だろう。コロッケはフランス語のクロケーから。フランス語は語尾のt以下は発音しない。カセットはカセー、英語ではレストラントはレストランである。tteは発音しない。クロケーは英語ではクロケットである。

日本人はフランス語の微妙な「ク」は言いにくいのでローマ字読みして「コ」にしてしまう。するとコッペパンも本来はフランスパンの一種だったかなと気がつく。
コッペは、フランスパンのバゲットよりも短い、寸胴なパンで、クーペである。クーペとは「二つに分かたれた」「切られた」という意味である。車にクーペがあるがこれと同じ意味。クーペはつまり英語のセダンで、二つに区切られた車内の車だ。


われわれがしゃれたパン屋で「塩パン」と呼んで来たパンがそれだ。



表面はフランスパンでかりかりしていて、真ん中がぱかっと切り開かれている。
これが日本に言葉だけ来て、短いパン=クペー→クぺ→クッペ→コッペとなったようだ。

日本の明治時代の洋食の記録に、コックがこれを「コッペ」と呼んでいたとある。これが最古の記録なので、明治の黎明期にフランス人がパンを教えた、例えば神戸のパン職人がクーペパンをコッペパンと言い始めたのではないか?

これが薬や医学や哲学用語ならドイツ語由来になる。バンカラ=バンカランゲンなど。


だとさ。


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給食のコッペパンの思い出というと、これを揚げて、砂糖がまぶしてある揚げパン。
あとは普通のコッペを二つに割って、切り口からもれる酒精の匂いをかいだこと。
ランドセルに残ったコッペパンを放り込んで帰って、忘れてしまい、ランドセルの中で揺られてパン粉になってたり、こちこちになっているそれを蒸し器でふかしてもらったこと。

長じて、ホットドッグのパン=ドッグズブレッドはなぜコッペとは言わないかは謎のままだ。ハンバーガーのパンはちゃんとパンズと言うのにである。ホットドッグ用パンと呼ばれている。ちなみにドッグとはフランクフルトソーセージの俗称である。反り返って長い姿かたちを猟犬のダックスフントに見立てたもの。それをあっためてパンにはさむのでホット・ドッグ。

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なんか卵しかないみたいにじゅるん玉子が続いたけど、これが最後かも。

たまごサンド。




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あれ、前にこの画像使ったかな?
いや、使ってない。確かタイトル画には使ってたかも。
忘れていた画像です。

たまごをふんわり焼きたいときは出汁か水か炭酸水で溶くのがコツなんです。
そして熱いフライパンに油をよくまわして、流し込んだらかき回しながら焼き上げて、すぐフライパンを冷やすことでね。ただ火を止めるだけじゃあ余熱が回って半熟にならない。

CMみたいに仕上げるには卵が複数必要で、箸を真ん中に立てて、フライパンを回して戻し、回して戻ししながら強火でやる。

玉子は絶対強火でてきぱきと仕上げなきゃうまくなりません。出汁巻も強火、玉子焼きも強火。玉子焼きは砂糖がこげやすいから出汁巻より難しい。

強火ですばやくやるから半熟状態に仕上げられる。つまり強火に慣れてない人には卵料理は非常に難しいということです。逆に言えば卵を焼かせれば、その人の料理の実力が見えてしまうてこと。


中華ならチャーハンみたいな基本の料理が卵。チャーハンも強火で卵を混ぜて飯を入れる、これも卵料理なのです。手早さ、手順の世さが一目瞭然。嫁を貰うなら卵料理で確かめるのが昔の嫁選びだった。

真理ちゃんの写真を見せて知っていれば60台、知らなかったら50代以降、なんて後家さん年齢判別法もあるけどね。




ドレミの歌、日本では12音階をイタリア語でドレミファソラシドと覚える。

でも映画サウンド・オブ・ミューッジックでジュディ・アンドリュース演じる主人公マリアはSi シをTi ティと歌っていて、続いてティはジャムパンの飲み物・・・つまりTeaだという歌詞になっている。英語的なおしゃれな洒落だ。

英語ならドレミは、音楽をやるものはCDEFGABとコード名にして覚えるはず(和音のCはドレミの組み合わせだ)。なぜマリアはドレミで歌い、さらにシはティなの?

ドレミファソラシドはイタリア語が起源。
日本は明治時代に欧米音楽教育導入時にイロハで代用していた(イ長調とかハ短調のように)のが、その後日本人発音とほぼ同じ開音節イタリア語のドレミが採用された。そのときもシはシで、これはアメリカのドレミも同じはずだった。音楽を学ぶときにはアメリカ人もイタリア式にSi シだが、一般人はTi ティと発音する人も多い。

サウンドオブミュージックの作詞家オスカー・ハマースタイン二世はTiを採用した。それは歌詞のお茶に合わせたわけではなく、映画の舞台であるオーストリアがドイツ語であることを意識したうえで、ドイツ語でドレミが英語と同じCDAFだが、発音がまったく違う。そこでドイツ語っぽく聞こえるようにTiにした。これが第一候補の案。

もうひとつ、外国の英語では子音が重視される(閉音節)のでSoソとSiシが混同されやすいからSiをTiにあえて替えたらいい歌詞ができた・・・という案もある。日本人は子音より母音中心(開音節)なので理解しにくいだろうが、子音中心で聞き分ける国々ではけっこうあることらしい。

開音節はイタリア語もそうなのでドレミファは受け入れられやすかった。
一方、コロナ問題でもよく言われてきたように欧米人は子音を聞き分けようとするから、口元を見てしゃべり、理解するので、マスクは困りものなのだ。

日本の絵文字は目の表情を重視するが海外のは口の形状に重点を置く。

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さて、それではドレミの歌の英語版歌詞をあなたはシっていますか?


Doe, a deer, a female deer  ドはメスのシカ
Ray, a drop of golden sun   レは庭に降り注ぐ光
Me, a name I call myself   ミは私のこと
Far, a long, long way to run ファは遠い遠い先
Sew, a needle pulling thread ソは布を縫う裁縫針
La, a note to follow so    ラはソの次の音
Tea, a drink with jam and bread ティはジャムパンのお茶
That will bring us back to Do  さあまたドに戻ろうね
(訳Kawakatu)
【英語】ドレミの歌 (Do-Re-Mi) - サウンド・オブ・ミュージック (日本語字幕) - YouTube


小学生のころ家にはじめてステレオがやってきて、やがて映画を観た長兄がサウンドオブミュージックのサントラ盤アルバムを買ってきた。ぼくはひとりでそれを何度も聞いて全曲を記憶したから、今でも英語で覚えていて鼻歌で歌う。ほかの何かいいことやアリアなども英語で覚えられた。そもそも幼稚園生のころからポータブル電蓄で外国音楽ばかり聴いていたから洋楽に慣れていた。当時の歌謡曲もアメリカでヒットした曲の日本語版が多かった。ジャズは小さいころから弘田三枝子で聞いていた。

そのあとペギー葉山のドレミの歌を日本語歌詞で聞いたので違和感があったのを覚えている。
そのときはシはティだと思っていたからだ。それに日本語歌詞のすべてがダジャレでできていることも気に入らなかった。洒落もへったくれもないつまらないガキ用歌詞だとバカにしていたものだ。


真実を知っているってことは、一般常識との軋轢を生むことが多々ある。ぼくはそういう子に育った。
友達をえらぶことになった。だからひとりで本を読む子になった。そういうことがのちに推理小説ファン、図鑑・辞書・百科事典・博物学好きへと自然に導いていった。
小さな出来事で子供は人生を決められることが多いものだ。時代が戦後だったことも大きい。ぼくらの世代には、洋楽から音楽に入った人は多かろう。山下達郎や大瀧詠一もその一人だ。そのサブカルチャー文化が戦後昭和史をかえてゆく。ジャズから歌謡曲、そしてフォークへ向かった日本のポピュラーは、まだ開音節を中心にした古い音楽だったが、荒井由実以後、シティポップスへ向かい、しかしその裏側では閉音節とビートを重視した本格的ロックが生まれている。ロックを切り開いたダウンタウンブギウギバンドはまだコミックポップの扱いで、開音節的歌謡曲の域を出ていない。桑田が出てやっとメジャー歌謡界に閉音節表現が定着する。


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