前々から感じてきて、されど考えなかった漢字の不思議が、近頃死が近くなったからか、気になり始めた。

部首のことである。

例えば、風や凧はなんという部首なのか?なぜ呼び名は「かぜがまえ」「かぜかんむり」ではなく「風部(かぜ、ふうぶ、ふうにょう)」であり、類似する凪や夙は「きにょう・つくえ」部で、部首が違うのか?ちなみに「かまえ」は旁の周囲・左右をふさぐ偏で、「かんむり」は上にある偏、「たれ」は上と左側をたれるようにふさぐ偏である。また「にゅう」「にょう」は道を意味し、左から下をふさぐ。

あるいは「にくづき」「つきへん」「がつへん」の分類ノウハウはどこにあるのか?などなど、漢字にはわからないことが多い。


まずは基礎知識を埋めておこう。
●つくり別の部首名一覧
 漢字部首マスタープリント2.pdf (ace-q.jp)

角川新字源部首一覧

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●風部と机部の分類はどうやっているのか?
一覧表をいくら探しても「風」の部首はない。
しかし漢和辞典の部首名は、自前の角川新字源では「風部」とあり、読み方は「ふうーぶ」「かぜ」。
だいだい「かぜ」で通っている。「かぜがまえ」でも「かぜかんむり」でも「かぜへん」でもなく、ただ「かぜ」なのだ。
風部=風部 - Wikipedia


一方、「几」は「きにょう」「つくえ」など辞書によってさまざまだが、だいたい机に関する漢字、風に関わるけれど「国字」に限って風部でなく几に分類してあるようだ。国字とは日本で考え出された作り漢字だから、机の上で考え出した字ということか?不明。


部首構造、風と机の文字発生
風という文字は帆船の帆の形から発生した。
ダウンロード (3)

往古中国では「かぜ」は虫の仕業だったから几の中に虫。しかし本当の虫ではない空想のモノなので「ひとつ欠けたもの」を意味する一を上につけてある。これは夙文字の中の「歹=がつーへん」=欠けた月と同じ構造。夕が三日月で上の一が欠けたものを指している。(※すると夙の意味が見えてくる。後述)

※応用・・・家紋の中模様の上に線一本、下に線一本も意味がありそうだ。一本線が上なら「欠けた者」となり斬首された、敗北者、下なら剣を持つもので武家、あるいは切腹したもの、あるいは?これは妄想に過ぎないがありそうな気もする。



かぜとつくえは「はね」が違うはずなのに?

ダウンロード (4)
これは「つくえ・きにょう」。机の脚から派生した漢字。

「かぜ」はこれ。
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「はね」の部分が違う。風は末端でいきなりはねるが、机は少し右へ伸ばしてはねる。風は「冄」から生まれた。帆船の帆に風が当たる象形文字だ。

ところが国字夙や凪はどうみても几ではなく几に見える。なのに実はどちらも同じだと考えられているらしいのだ。ならば同じ部首にすればいいものを、なぜかわざわざ分けてあって、しかも辞書のページ数ではつくえは2画、風は11画になるから1000ページも違う遠いところに生き分かれておる。
理不尽である。わかりにくい。


●月もおかしいことに

月偏と肉づきとがつ偏の三種類ある、なぜ?

つきへん・・・月、月日に関わる文字・・・調・月・服・朔など
にくづき・・・肉・体に関わる文字・・・胃・腸・肩・肘など(そもそもにくづきは月からではなく肉の略字)
がつへん・・・部首を「へん・にょう・かまえ」などではなく「旁 つくり」をへんにしてある国字・・・夙と、欠けることを表す死・殊・残などの漢字。


旁とは偏の横の漢字意味の核心部で、偏は分類と理解できる。
しかし分類は厳密でなく、かなりルーズ。特に国字は机上の発明ゆえにかなりいい加減である。


●ちなみに夙と凪
ダウンロード (1)
ダウンロード (2)

●しゅくとなぎ

しゅくは音読み、訓読みは「つと(に)」「はや」「まだき」。「つと」は早朝、早くから、昔から。部首は「夕 ゆう」部。ゆえに「歹 ガツへん」部ではないが、夕=三日月で一本線が欠けたであるから、欠けた月なので歹と同じ意味の「欠けた者」となり夙のモノ(ひにん・えた)につなげられたらしい。しかしそもそも夙は芥川龍之介の好きな言い回し「つとに有名」とか、清少納言の「冬はつとめて」のように使う文字で、そもそも努力して、勤務するなどという「つとめる」も「つと」が語源で生まれている。「つとめて」で無理をして起きる早朝であり、努力の結果見ることができる事象や時間を指すわけである。またつとに有名と言えば、「昔から」「早くから」知られているとなるが、この「つと」も「早い」=「古い」=「以前」=「昔」=「苦労して勉強しないと知れない過去」と、連想でつながった言葉になる。非常に国字と大和言葉は主観でつながるので文系的、詩的なできかたをしたので、理系には理解しにくいかも知れない。


なぎは風に関わるので風部に入るはずだが国字ゆえにつくえ・きにょう部になっている。なぎは風がやんだ状態。中国にないから国字は作られる。辻・峠・躾・膣・鱚など、中国人が考えない小さな事象に日本人・朝鮮人・ベトナム人はそれぞれ漢字を考えた。そこには音ではないつまり表音文字でなく表意文字としての漢字の応用が存在する。日本語にもともとある言葉に漢字一文字を当てて表現しようとしたのだ。


●ちなみに森・椿・沖は国訓
森・椿・沖などは中国にない漢字だが国字ではなく国訓と呼んでいる。既存の漢字に別の意味を持たせた。
また鞄、閖なども。中国に意味は違うが文字はあることを知らずに考えつかれた文字だ。

森は中国では「シン」でびっしりとものが立ち並ぶさまを意味し、日本語の「もり」とは違う使い方をする。大和言葉の「もり」は盛り上がった地形に自然にはえた樹林である。一方「林」は人が植えた「はやした」樹林で、平地であっても林だし、山でも人が植えたなら林である。うっそうとしていても人が生やしたのなら林。自然に盛り上がったような雑木林が森。漢字には樹林の意味は決してない森。樹(現代中国漢字を使う)林とか林子と表記すると日本語の森に近くなる。

だから中国には林さんはいても森さんはいないらしい。そういう意味では森は国字と言ってもおかしくなかろう。




とにかく日本の漢字分類は中国ほど厳密ではなく、むしろいい加減である。言い換えると日本人は主観性が強く、客観性が世界でもナンバーワンに低い民族だと言えるかも知れない。理化学で言えば医術・技術・物理には強いが化学・数学に弱い?文化系で言えば国語・文学・美学は強いが哲学・心理学・統計学・経済学は弱いかな?

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