かつて大阪城は黒かった。
漆黒の城は秀吉好み、城は家康好みとよく言われるが、家康が建てた今の大阪城は白く、本来は漆黒だった。

大坂夏の陣屏風に描かれた大阪城は確かに黒い。
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それを復元した模型。

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それぞれ「黒い大阪城」検索にヒットした画像。MEk83vKwOST2dhNR6YIefPC7qX0cAG_qql4hrU65LtUc1panWcUuffywTlOrDXbP0C0cvVIh_BAyYa2by74Kv2C98xCyCW4ESvB-RHBLGsqX4WrVKm_dtrtSyfL3tnOAJdGPxKMqIdOMRjzGPJpKv53_x0PMRU0KgR0 (512×398) (googleusercontent.com)


大阪城(おおざか・じょう)は過去二度改築され、最初は家康が建て直し、秀吉の黒い大阪城石垣を埋めて高くして建てられた。その時から大阪城は白くなった。

その後昭和にそれが焼失し、現在は二度目の立て直された城。
そして今は二段目だけを黒漆喰にした二色の城になった。家康と秀吉の好みを最近になって塗り替えた最新デザインだ。


秀吉の大阪城石垣は、現在の石垣より7m地下に埋まっている。

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図の最下段は上町台地土壌で洪積台地。
その上に秀吉が盛り土し秀吉の大阪城があったのが、夏の陣で家康により焼かれた。
その焼かれ方だが、まず空堀を西方淀君に埋めさせ、攻めやすくしてから、三浦按針によってもたらされた英国式カルバリン大砲で攻め陥落させ、火をつけた。


 
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大坂冬の陣で西軍を震え上がらせた大砲はどんなものだった? | ひすとりびあ (historivia.com)



三浦按針は最初からエリザベス1世の意向を受けて来日したと思われ、それは台頭していたカトリック・イエスズ会へのプロテスタント国家オランダと英国からの対抗手段の一つだった。欧州が艦隊で海へ進出していった大航海時代の経済・宗教対立が大阪城を木っ端みじんにして淀君も秀頼の震え上がらせ、結果的に東軍が勝利したわけだ。冬の陣・夏の陣の背景に、こうした欧州宗教戦争、帝国主義対立があった。

カルバリン砲は英国製。
射程距離6300m。鋼鉄製。
これを家康は按針を通して英国から購入。
これより前には、冬の陣前にオランダ製半カノン砲も12門買っており、さらに英国からはセーカー砲1門も買っていた。
(上記サイトより)


先日書いたように大阪城はかつて信長が壊滅させた石山本願寺の上に秀吉が建てた城。そこの地名が「大坂 おおざか」で、本願寺が採っていた石山地名はそういう関係で使わなかった。当時から石山は小高い丘であったらしく、台地の北端に位置していたが、ごろごろ石が出たので石山。そこに大阪城が建ってからはおおざかになる。今の本願寺はその時に台地西側に移転させたもの。

大坂は古くは小坂で、小高い丘。そこに本願寺が建つときに土を入れたから大きな坂になった。それをまた高くして太閤の大阪城。それをまたまた高くして今の家康大阪城になっていった。

もともとは物部氏の本拠地で、丹治比道などで飛鳥に通じていた場所だ。

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