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みかしきやひめ?誰?あなたは思うかもしれない。
記紀神武東征伝承におけるナガスネヒコの妹。ニギハヤヒの嫁「とみやびめ」とも言う。「とみ」は地名。奈良県信貴山山麓鳥見。ナガスネヒコも鳥見長髄彦と書く。

(蘇我氏の妹が物部氏の嫁という意味だが、神話は馬子の妻が守屋の妹という事実を意図的に逆転してある。後述)

御炊屋姫と書く(三炊屋媛、鳥見屋媛、長髄媛=『日本書紀』、登美夜毘売(とみやびめ『古事記』、ほかに櫛玉姫命など))。
「みかしぎや」は神の食事係の巫女の名称。
日本史では同じ名前の人物がいる。蘇我馬子の娘、推古女帝だ。
「豊御食炊屋姫」とよみけ・かしきや・ひめ。

だからナガスネヒコ=蘇我馬子と想定可能になる。

推古は蘇我氏であり、蘇我氏は出雲に祀られた敗北者=障碍神しょうげじんである。
つまり推古も敗北者となり、ナガスネヒコ一族も敗北者で一致するのである。

違うのは娘と妹の違いだけ。

似ている神というものは結局同一人物を置き換えてあることに気づく。
アメノワカヒコと阿遅鉏高日子根も同じこと。同族だが、史上、おおむねこれらは対立構図を持たされていることが多い。同じ鴨氏なのに殺しあう。ヤマトタケルも兄を殺す。これは今もそうだが、親族内に対立構図があることを意味する。あるいは、中世武士なら、誰かにつこうというときには、兄弟が正反対について家名を残したのと似ている。

そういうことなのだ。

誰の家でも親が死ぬと親族・兄弟が反発しあうのと似てもいる。

反対勢力、獅子身中の虫はどこにでもいる。
神話なら対立したアマテラスとスサノオは兄弟でだったではないか。



1「かしきやひめ」が物部氏(ニギハヤヒ)についたナガスネヒコの妹という構図
2 推古天皇が蘇我氏の娘と言う構図

これは史実を前倒しして置き換えたとみることができるのだ。
国譲りで藤原氏のタケミカヅチが、物部氏のモノザネである布津御霊の剣をしたがえている。つまり8世紀に物部氏が蘇我氏によって滅ぼされ、その物部の武器を蘇我氏が手にし、それをまた一巳の変で藤原が奪い取ったことに合致する。物部もののふ軍団が藤原氏の傘下にあったことを出雲神話に置き換えただけなのだ。

ナガスネヒコ=蘇我氏。

さて、アメノワカヒコの妻は出雲大国主の娘・下照姫。
アジスキタカヒコネの妹は下照姫。母は宗像の多紀理ヒメ。だから彼らは出雲摂社では筑紫社に祭ってある。アジスキタカヒコネとアメノワカヒコは要するに義兄弟=同族なのだ。

だから「似ていた」と書かれるのだ。

ちなみに阿遅鉏高日子根も下照姫も雷神であり、鴨氏の「おかみ」神に当たる。ということは鴨氏と宗像氏は婚姻関係の同族になるので、必然的にアメノワカヒコ=宗像となるわけ。


『日本書紀』出雲神話は、だから同族同志を戦わせて中つ国の中心地出雲を奪おうとしたことになる。
中つ国の意味は日本海側諸国。往古、日本海側は列島の玄関口で、交易の表玄関。裏日本どころか表二本だった。だから畿内はここが欲しい。海外交易のために。それは神話や太古ではない、『日本書紀』編纂時点の中央藤原氏の要求であり、神話時代などであるはずがないのだ。

神話~崇神までは夢の世界。あとの生々しい時代(当時の「現代」)の書き換えでできているのだ。

ニギハヤヒの敗北は、決して神武(宗像とは正反対の九州南の勢力=狗奴国)にやられたのではなく、飛鳥時代に蘇我氏によって滅ぼされる物部氏の置き換えなのだ。そして配下にいたナガスネヒコにされたのが藤原によって一巳の変でやられた蘇我氏となってしまうのだ。

物部氏の妹は蘇我馬子の嫁である。両者は外戚関係で同族。物部の下に蘇我はいたのである。

要するに蘇我氏が聖徳太子時代に守屋を殺したなどは真っ赤なうそということにたどり着くことになる。さらに、大国主=ナガスネヒコである。だから大和大物主は出雲に現れ、大国主は大和三輪山に祀られたいと言ったのである。同一だったかだ。まさに裏表一体の神話ロジック。


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