内母神社 ないも・じんじゃ
三重県桑名市多度町香取 2216-2
主祭神 面足神(おもたるのかみ)
加茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)
弥都波能売神 (みつはのめのかみ)
内母神社の由緒は、永禄(一五五八~一五七〇)の兵火により社記不詳であるが、主祭神「面足神(おもたるのかみ)は内母神(ないものかみ)、内母大明神と称し、多度大神(天津彦根神、その子天目一神)の一柱天目一神の妻神と古記録にあり、古来より香取村の裏大川通の端に祭祀されたとある.その後何時の頃か蛯江に鎮座、明治四四年上之郷、香取、福永、古敷、平賀等七郷の一三社を合祀し、現在地に遷座して現在に至っている。」
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天目一神とは天目一箇命(あめのまひとつのみこと)で、鉱物・鉱山・製鉄・鍛冶の神(西洋のキュプクロス)である。
「天之麻比止都禰命(あめのまひとつねのみこと)、天久斯麻比止都命(
加茂別雷と弥都波能売は水の神で鴨氏祖神。鍛冶神でもある。
おもだるのかみ(面足神)とは?
「『古事記』では兄を淤母陀琉神、妹を阿夜訶志古泥神、『日本書紀』では兄を面足尊、妹を綾惶根尊(あやかしきねのみこと)と表記する。
『古事記』において神世七代の第6代の神とされ、兄淤母陀琉神が男神、妹阿夜訶志古泥神が女神である。
オモダルは「完成した(=不足したところのない)」の意、
アヤカシコネはそれを「あやにかしこし」と美称したもの。
つまり、人体の完備を神格化した神である。
また淤母陀琉神は「淤母」は「面」、「陀琉」は「足る」と解して、名義を「男子の顔つきが満ち足りていること」とし、文脈や阿夜訶志古泥神との対応、また今日に残る性器崇拝から男根の様相に対する讚美からの命名と考えられる。阿夜訶志古泥神は「阿夜」は感動詞、「訶志古」は「畏し」の語幹、「泥」は人につける親称と解し、名義は「まあ、畏れ多い女子よ」とし、淤母陀琉神と同様の理由で、女陰のあらたかな霊能に対して恐懼することの表象と考えられる。」
オモダル・アヤカシコネ - Wikipedia
- 各地の第六天神社
- 近津神社(茨城県久慈郡大子町)
- 近津神社(茨城県久慈郡大子町)
- 二荒山神社(栃木県宇都宮市)※境内の十二社
- 神崎神社(千葉県香取郡神崎町)
- 白子神社(千葉県白子町)※摂社の面足神社
- 穏田神社(東京都渋谷区)
- 稲足神社(東京都あきるの市)
- 熊野速玉大社(和歌山県新宮市)
- 熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
- 鵜坂神社(富山県富山市)
- 健男霜凝日子神社(大分県竹田市)
両性具有となる。それが内母神として讃岐の香取に祀られているということは、火野正平の「日本こころたび」で初めて知ったところである。
気になったのでちょっと調べてみたまでのこと。
要するに鉱物、鉱山開発では夫婦一組で掘っていたわけで、これは1ペアの製鉄鍛冶神だと言えるだろう。特に大分の健男霜凝日子(たけおしもこりひこ)の名前からも、これが「しもこり」=岩石の凝縮で生まれた鉱物という意味合いで、確かにこの神社のあるのは祖母山(そぼさん)で、母の名がついており、上に鉱山が往古からあった。
また三重県桑名市は有名なのはその手は桑名の焼き蛤と多度大社だろう。香取という地名は千葉県香取神宮に由来すると思われ、中国地方身も香取村があるなど、鍛冶神に信仰と分祀が多いことがわかる。特に中世の武家なら武器を欲するので当然鍛冶や鉱山の神を祀るのは当然だろう。香取神宮が現地の武家に勧請されれば、香取神宮から神人が来るので地名になるはずだ。
当家の近くの賀来地名も、やはり豊前宇佐近くの加来から祭祀者賀来氏が、大友氏が勧請した柞原神社建立にやって来たから地名になり、神社もできた。
多度大社
天津彦根命(天照大神の第3子)を主祭神とする。天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神である。天津彦根命が天照大神の御子神であることや参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。また俗に、北伊勢大神宮・多度大神宮などとも云われた。境内には天津彦根命の子である天目一箇命を祀る別宮・一目連神社があり、本宮とともに「多度両宮」と称される。
- 別宮
- 一目連神社(天目一箇命)
- 摂社
- 末社
- 神明社(天照大神)・皇子社(天之忍穂耳命、天之菩卑能命、活津彦根命、熊野久須毘命、多紀理姫命、多岐津姫命)・雨宮八幡社(天之水分神、国之水分神、品陀別命)・藤波社(建速須佐之男命、大穴牟遅命、少彦名命)・鉾立社(天久之比命)・招魂社(護国の英霊)
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