熊本県には河川が山ほどある。


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熊本県ハザードマップより


九電が管理する水力発電所のある河川(つまり一級河川)だけでこれだけあり、熊本県を横に分断している。

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九州電力 熊本県の水系マップ (kyuden.co.jp)

古代人にとって河川は歩く時の最大の障害だっただろう。




これらの川は、みな同じ岩盤を流れて有明海へ注いでいる。
菊池川は阿蘇山から、白川、緑川、氷川なども阿蘇山から。
球磨川は高千穂方向にある市房山が水源だ。
しかしそこにはもともと巨大で深い溝が存在した。

それが
別府ー島原地溝帯
である。


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この地溝帯は西日本全体を南北に切り裂こうとするプレートのひっぱり、ひきずり作用で九州島を二つに切り裂いていた。中国地方と四国も同じく、瀬戸内海をはさんでまっぷたつにされている。
やがてその溝には縄文海進でそれぞれ海水が入り込んで海になった。
ところが阿蘇山が9万年前に大噴火。
8000mあった山のほとんどが大爆発して飛び散り、でっかい地溝帯を火砕流となって埋め尽くしてくれた。こうして九州はひとつにつながったが、今でもそこの地形は窪んでいる。





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前ページにリンク掲載済み


そこは海底地層、化石、ノジュール、珪藻土、あるいは色のついた変成岩や凝灰岩の宝庫となった。
特に大分県側にそれが顕著だ。
九重町野上層  - Google マップ

大分県九重町野上地層のノジュール化石
www17.plala.or.jp/yoshio-box/topics-fossil.html

大分県九重町の野上層から産出の化石 大分県九重町

  地質概略
大分県九重町黒猪鹿地域に分布する中期更新世の淡水成堆積物は野上層と呼ばれて
いる。黒猪鹿の南の谷では、かって野上層の珪藻土が採掘されたことがある。黒猪
鹿の南の谷で最も下位にあるのは火砕岩層で層厚5m以上、級化構造が見られる。
火砕岩層には白色ガラス質黒雲母流紋岩が貫入している。 火砕岩層の上には層厚
15m以上の火砕流堆積物があり、白色ガラス質黒雲母流紋岩、流顆を含む灰黒色~
灰白色ガラス質黒雲母流紋岩、角閃石安山岩などの礫が取り込まれている。火砕流
堆積物を野上層が不整合に覆う。野上層の下部には層厚 255m以上の軽石層が挟ま
れている。野上層は主として凝灰岩や砂岩の薄層を挟む泥岩からなり、珪藻土が発
達する。珪藻土層の上には泥炭層があり、材、種子、昆虫、化石が多く含まれてい
る。泥炭層は降下火山灰層に覆われている。野上層の堆積した時代については中期
更新世と考えられる。

 参考文献(1)<大分県立図書館>抜粋
 大分県九重町の野上層から産出した中期更新世の昆虫化石
              (林 成多・八尋克郎・北林栄一)

ダウンロード (3)ビワマス化石
www17.plala.or.jp/yoshio-box/topics-fossil.html



同じく野上層の珪藻土土壌と白川工業の珪藻土加工工場

ダウンロード



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国道や久大線からよく見える。


珪藻土があり、ノジュール化石からは海の魚がたくさん出てくる化石愛好家垂涎の場所だが、それがすべてここがかつて海底だったことを証明する。


そこにあったのは別府ー島原地溝帯という断層である。
別府-島原地溝帯は、東北東から西南西へ[2]延長約200km、幅20km-30kmにわたっている[1]。多くの活火山が分布し、地震活動が活発である[2]

別府-島原地溝帯に沿うように存在する主な活断層としては、北側の水縄断層帯、南側の布田川断層帯日奈久断層帯、東側の別府-万年山(はねやま)断層帯、西側の雲仙断層群がある。これらの活断層の多くが東西方向に延びており、南北方向に引っ張る力を受けて正断層型の運動を起こす。その際、右ずれ運動を伴うものもある[3][注釈 1]。別府-島原地溝帯の南西方向の延長上には沖縄トラフ東シナ海)があるが、ここでも浅い深度の正断層がみられる[4]

別府-島原地溝帯は内陸型地震に警戒すべき地域とされている[5]1596年豊後国(現在の大分県)で発生した慶長豊後地震は、別府湾の海底に延びている別府-万年山断層帯での正断層型の活動が引き起こしたと考えられている[6]。また、2016年に布田川・日奈久断層帯で発生した熊本地震では、北東側の別府-万年山断層帯方面にも地震活動がおよび(誘発地震)、別府‐島原地溝帯の広い範囲でその活動が活発化した[7][8]。」
別府‐島原地溝帯 - Wikipedia





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この部分全部が海の底だった。
30万年前まで。
九州島は真ん中で二つに分かれていた。
それを30万年前からの四回の阿蘇大噴火が、火砕流と灰により埋めたのである。
これが接着剤になった。

しかしおかげでそこは土地が低く、地層が密ではなく、断層だらけになったわけである。
だから大きな地震が起こる。すると阿蘇山も活発化する、だから火山性微動も多い、だからーーーー阿蘇神社ができて、それを管理する阿蘇国造神社ができて、生贄儀式としての「うなり神事」と国造神社の「鯰宮」もできた。阿蘇氏の祖建磐龍命は地震鎮守の神になった。そして阿蘇を蹴り割く「蹴裂き(けさき)神話」が生まれた。

その阿蘇氏がのちに鹿島神宮に祭祀者で移住して、鹿島神宮にも鯰神話が江戸期に行きわたり、結果として鹿島の神であるタケミカヅチも地震抑えの神にされてしまった。それをしたのはもちろん阿蘇氏氏子だろう。


ダウンロード (2)

前のページに書いた菊池市は、この地溝帯のど真ん中にある盆地。となりの山鹿市も、和水町も、ここにある。横穴古墳の集積地で、靫装飾のメッカだ。その多くは日奈玖断層など熊本地震で有名になった活断層のすぐそばにあり、広くは別府ー島原地溝帯の中にある。

全国装飾古墳リスト > 熊本県内の装飾古墳 (dandl.co.jp)

靫装飾は南は人吉市(大村、城本、京ヶ峰横穴古墳群)~熊本山鹿市へと連綿とつながってゆく。
そのすべてが、結局は海底と火山噴火の賜物である阿蘇凝灰岩、花崗岩などに彫り込まれている。つまりここだからこそ古墳もあり、ここだからこそ靫負集団が入ったと考えていいのだろう。

「きくち」が「くくち」で、へこんだ地形地名だと筆者が考える所以もここにある。
そのくくちを管理したのがクコチヒク=鞠智彦だったと考えるのだ。

ダウンロード (1)

https://www.kubota.co.jp/siryou/pr/urban/pdf/39/pdf/39_03.pdf

このKubotaサイトに重要な地質分析画像が三枚あり拡大画像が見られます。


ダウンロード (4)




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世界に報道された熊本地震 : (livedoor.jp)



古代史分析に不可欠な知識・・・地層・地質学、地形学、古環境学、古気象学、遺伝子学・・・
勉強は終わりがない。

30万年以上前に阿蘇はまだ海の底の海底火山・・・。よろしく。


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