さくらの和歌80撰 : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp)




2018年最新80撰が更新されています。
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ただ、ベストとなると、やはりここにあるものにつきるかも知れません。数よりもやはり秀歌を集めること、選定することにこそ選者のよき趣味が見えるものでしょう。Kawakatuが選ぶ桜の和歌ベスト30はやはりこれです。




Kawakatu厳選・桜の和歌極めつけ30(番外付き)

ベスト5 


1  ひさかたの光のどけき春の日に 
         しづ心なく花の散るらむ   
                    紀友則・古今和歌集、百人一首





2  桜色に衣は深く染めて着む
        花の散りなむ のちの形見に 
                        紀有朋・古今和歌集



 

3  花さそふ嵐の庭の雪ならで
         ふりゆくものはわが身なりけり
                       入道前太政大臣・百人一首



4 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに 
                           小野小町・百人一首




5 もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし 
                      前大僧正行尊・小倉百人一首



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6 世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし   
                          在原業平・古今和歌集



7 いにしへのならのみやこの八重桜  けふ九重ににほひぬるかな
                         伊勢大輔・詞花和歌集 一春




8  清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵逢ふ人みなうつくしき 
                       与謝野晶子・みだれ髪
  




9 願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月の頃 
              西行法師・山家集(旧暦2/15は釈迦入滅の日)




10 高砂の 尾上の桜 さきにけり 外山の霞 立たずもあらなむ  
                       前中納言房・小倉百人一首



・・・・・・・・・





11 あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも  
                          万葉集・山部赤人




12 花は散りその色となくながむれば  むなしき空に春雨ぞ降る 
                       式子内親王・新古今和歌集



13 あをによし 寧楽の京師は咲く花の にほふがごとく今さかりなり 
                           小野老・万葉集巻3




14 春霞 たなびく山の 桜花 うつろはむとや 色かはりゆく 
                       詠み人知らず・古今和歌集




15 少女子が かざしの桜咲きにけり 袖振る山にかかる白雲   
                         藤原為氏・続後撰集




16 仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば    
                          西行法師・山家集




17 山ざくらをしむ心のいくたびか 散る木のもとに行きかへるらん 
                          周防内侍・千載集




18 花桜今年ばかりと見しほどに 八十歳までにもなりにけるかな  
                          源縁法師・万代和歌集




19 乙女子が袖ふる山に千年へて ながめにあかじ 花の色香を  豊臣秀吉





20 咲く花を散らさじと思ふ 御吉野は 心あるべき春の山風   徳川家康





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





21 行き暮れて木の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし       

                                平忠度   



22  匂へどもしる人もなき桜花 ただひとり見て哀れとぞ思ふ     
                       慶政上人 ・ 風雅和歌集




23  散る花もまた來む春は見もやせむ やがてわかれし人ぞこひしき  
                        菅原孝標女・更級日記




24 いま桜咲きぬと見えて薄ぐもり 春に霞める世のけしきかな   
                       式子内親王・新古今和歌集




25 宿りして春の山辺に寝たる夜は 夢のうちにも花ぞ散りける     
                        紀貫之・古今和歌集




26 人知れずもの思ふことはならひにき  花に別れぬ春しなければ   
                         和泉式部・詞花和歌集




27 花は根に鳥は古巣にかへるなり  春のとまりを知る人ぞなき    
                         崇徳院・千載和歌集
                      




28  梓弓 はるの山辺を 越えくれば 道もさりあへず 花ぞ散りける   
                       紀貫之・古今和歌集




30 大空におほふばかりの袖もがな  春咲く花を風にまかせじ    
                       よみ人しらず・後撰和歌集




番外 この花の一節のうちに百種の ことぞ隠れるおほろかにすな 
                          藤原広嗣・万葉集巻8
     (やや哲学にすぎるか)



番外 人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける   
               紀貫之・古今和歌集百人一首(この花は梅か)



番外 深草の野辺の桜し心あらば

                             今年ばかりは墨染に咲け         上野峯雄 古今










人麻呂は吉野を詠めど久方の 桜も花も書いて残さじ        筆者かわかつ輩






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番外付録

浅茅原 主なき宿の桜花 心やすくや風に散るらん      恵慶 拾遺



桜散る春の山辺は憂かりけり 世をのがれにと来しかひもなく  恵慶 拾遺



しらくもにまがふさくらの こずゑにて
           ちとせのはるを そらにしるかな        待賢門院中納言 金葉


みよしのの山した風や はらふらむ
           こずゑにかへる 花のしら雪
                               俊恵 千載
         


おもひやる心やはなにゆかざらん
          かすみこめたるみよしののやま        西行 山家




木のもとにたびねをすれば
     よしの山 はなのふすま(衾)をきするはるかぜ
                                西行 山家
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よし野山こずゑの花を見し日より
        心は身にもそはずなりにき            西行 山家


白河の梢を見てぞなぐさむる
           吉野の山にかよふ心を            西行 山家



いくとせの はるにこころをつくしきぬ
            あはれとおもへ みよしののはな
                               俊成 新古今


み吉野の山の白雪踏み分けて
          入りにし人のおとづれもせぬ               
                               壬生忠岑 古今






日本人が梅からサクラへ心変わりした、その時期は特定できるだろか?

◆花見の歴史
「花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われている。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜と変わってきた。その存在感の移り変わりは歌にも現れており『万葉集』において桜(山桜)を詠んだ歌は40首、梅を詠んだ歌は100首程度だが、平安時代の『古今和歌集』ではその数が逆転する。また「花」といえば桜を意味するようになるのもこの頃からである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%A6%8B#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

●『日本後紀』嵯峨天皇812年(弘仁3年)
神泉苑にて「花宴の説」

●831年(天長8年)宮中に移り、天皇主催の定例行事へ(『源氏物語』花宴)
●吉田兼好『徒然草』

●1598年(慶長3年)3月15日 秀吉「醍醐の花見」

野外に出ての花見はこの時代の絵画資料から確認される。
 
花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代、徳川吉宗が江戸の各地に桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれている。江戸で著名な花見の名所には愛宕山などがある。この時期の花見を題材にした落語としては『長屋の花見』や『あたま山』がある。

さて、和歌に詠まれる「花」が梅から山桜へ一大変化するのは『古今和歌集』からである。そのきっかけになったのはいったい何だったか?
それは嵯峨天皇からだと考えてよいだろう。
 
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古今の成立は・・・
「仮名序によれば、醍醐天皇の勅命により『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86#.E6.88.90.E7.AB.8B
とされる。
 
 
嵯峨天皇は風雅を好み、よく花鳥風月を解した。
言い換えるとあまり国政には?だったか?
京都嵯峨野の名前も嵯峨天皇がこよなく愛して地名を変えた可能性があるらしい。それまで嵯峨野は葛野(かどの・かづの)であった。
 
 
山桜が主流になる契機は嵯峨天皇が催した神泉苑「花宴の説」からであろう。
もちろんそれまでも山桜は貴族たちの間で徐々に話題になってはいただろうが、天皇主催で行われた「花見」はやはり大きかったはずである。諸氏こぞって山桜を歌に詠み込むのが流行になった。

主役として紀友則、貫之の二人がいる。古今編者である。不遇の紀氏や大伴氏は文人として大成していくしかなかった。これも和歌でわかる一種の敗者の古代史である。
 
 

色も香も おなじ昔にさくらめど 年ふる人ぞあらたまりける  友則・古今57
 

ひさかたの 光のどけき春の日に しづこころなく花の散るらむ 友則・古今84
 
宿りして春の山辺に寝たる夜は 夢のうちにも花ぞ散りける   紀貫之・古今
 
梓弓 はるの山辺を 越えくれば 道もさりあへず 花ぞ散りける   紀貫之・古今
 
桜色に衣は深く染めて着む  花の散りなむ のちの形見に     紀有朋・古今
 
 
 宿りして春の山辺に寝たる夜は 夢のうちにも花ぞ散りける   紀貫之・古今
奈良時代までは中国を手本としていたので梅・牡丹を最高としたが、藤原摂関家の時代からは国風文化が盛んになる。なぜならほぼ外に目を向けなかった、中国とあまり付き合わなくなった・・・だからこそ半島のような儒教まる暗記政治にも深入りせずに済んだ・・・結果として国の花としての桜が定着するきっかけになり・・・せっかく自生している山桜に目も向けなかったし歌も読まなかった無味乾燥した半島のようにはならず、オリジナルの職人文化やわび・さびを生み出せた・・・となるわけだろうと思う。
 
 
言い換えると朝鮮は高い山岳の向こうの中国や北方異民族に戦々恐々とせねばならぬ歴史的な立地に苦悩し、しかたなく儒教・道教中心の中国政治をコピーすることで、盟主としての中国の属国になる道を選び、足元しか見続けなかったために、山桜をめでるだけの余裕がなかった・・・哀れではあるが、海に隔てられた列島に吹き寄せてくる偏西風がその山桜を日本にもたらし、国風文化という一種の鎖国状態が、かえって日本人的な個性を渡来文化に加味させることとなり、ゆったりと風雅を楽しんだということではあるまいか?
 
 
やがて桜は武士のシンボルとなり、明治政府では菊花の天皇に対するそれを助ける政府のシンボルとなる。それが戦前から軍部のシンボルとまなってゆき、ようするに花と散るとなる。要するにサムライの美学をそのまま軍隊が取り込んでしまったのだった。
 
 
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植物学的にはサクラの原種は・・・
「サクラのおおもとの原産地はヒマラヤ近郊と考えられており、北半球の温帯に広範囲に分布している。日本では、ほぼ全土で何らかの種類が生育可能である。さまざまな自然環境に合わせて多様な種類が生まれており、日本においてもいくつかの固有種が見られる。たとえばソメイヨシノの片親であるオオシマザクラは伊豆大島など、南部暖帯に自生する固有種とされる。日本では少なくとも数百万年前から自生しているとされ、鮮新世の地層とされる三朝層群からムカシヤマザクラの葉の化石が見つかっている」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9
 
このようにサクラはけっして朝鮮半島だけから来るのではなく、もとはシベリア原種にはじまる。なによりもサクラ・山桜を日本人ほど大切に思う民族はほかになく、国のシンボルでもある。
 

しかしサクラは決して日本の国花ではない。
「一般に国を象徴する花として語られコインや切手の意匠として採用されてきたが法定のものではない。」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%8A%B1#.E3.82.A2.E3.82.B8.E3.82.A2

国花と言えるのは古くから皇室の紋章となった菊花である。しかしそれもあまり古くはない。これは醍醐天皇あたりから。1868年、日本の『太政官布告』195号は、菊花を最高権威の象徴として天皇のみがこれを独占し、天皇の専用の紋章とすることを規定した。ゆえに戦後の日本には正式な国花はないというのが正しい。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q115174881
 
 
 
サクラを精神性のシンボルにしたいのは一部の国粋主義者であろうか?
「同じ花なら死ぬのは覚悟、みごと散りましょ国のため」
軍歌にも歌われたがそもそもは
「花は桜木、人は武士」であって
最初からこうした「サクライメージ」は「散る」=死を常とするいくさのプロだけの観念で、平安時代の頃ははなやかで心を揺さぶる風雅の象徴であった。そこに最初に「サクラ=死」を持ち込んだのは西行法師であろう。
 
 
 
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月の頃   西行法師・山家集
 
 
 
死生観、仏教観から出たもので、この場合のサクラは満開で、はらりはらりと散って行くもの、ぱっと散るいさぎよさの象徴ではなかったのである。
あなたがどのサクラを愛するかは、実はあなたのイデオロギーや感受性、主観性のたまものであって、サクラ本人になんの責任もない。まことに人とは小さく、こざかしい。
 
風雅による真の「サクラ愛」の局地の歌はこれではないか。
 
 

世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 
                       在原業平・古今

 
 
 
まあ、この人くらいもてれば、心のゆとり、サクラの本性にこれほど最接近できたのだという、あっぱれな手本の歌である。サクラもここまで思っていてくれれば散って本望というもの。
 
 
 

  なりなりひらは 花をめでるといいながら 袖の中には おみなごの手
 
                         Kawakatu亭
 
 
これこそが男の本懐ではないか。
 
 
お粗末。
 
 

花を主義の道具にするのは無粋の中の無粋ということでありますなあ。
御母衣湖(みもろ・こ)の櫻守とぞ耳にせむ 
      
             水が生み出すさくらならんや   Kawakatu




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