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 後ろ戸(うしろど、うらど)とは、どの辞書も言わない筆者独特の考えでは「ある氏族の裏側(家臣のまた家臣の末端にいた被差別の民人)が祭った神で、氏族の祖人とも言うべき主祭神の裏側にあって、主祭神を護る守護神となりつつ、氏族の敵となった神と人を恨み、祟り、食らうために置かれた闇の秘め神(ひめがみ)」。

この場合「ひめがみ」とは姫神となる場合もあるが、性格はやはり秘められた神である。そもそも「比売・姫・媛」という言葉自体に最初から「秘める」という意味があって生まれる言葉と考えている。秘めるは隠すであり、つまりは表の神々や仏像から隠れた裏側に置かれる存在ゆえ、まさに部民のような月の存在である。宿神(しゅくじん)。荒神。荒ぶる神。庚申である。あるものには祝いを、あるものには祟りを与える。
宿とは旅することで一泊する場所の意味で、まれびと神、来訪神、まろうど神、蘇民将来、スサノオ、ムトウの神、アラハバキに同じ意味である。これもまた後戸神。


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無数に名がある。


土佐大神として土佐国造・鴨氏が主祭神を祀るなら本来は祖人阿遅鉏高日子根であるはず。この神は事代主(えびす。蝦夷。葛城一族)を護る神であるが、そのまた後ろに隠れているのが一言主という葛城の山の神である。ところがこの神は部民、被差別のことである。それで天皇と同じ姿で現れる。なぜなら漂泊者は菊の御門が使えた=天皇の裏側の民、あるいはもうひとつの天皇。まったく逆に天皇はもうひとつの被差別民と言った民俗学者すらいる。役行者はここから出てくる伝説的修験者だ。そんな神を土佐神社では第一に祭神だと書いたのであるから、そもそも土佐国造うんぬんより、四国に流懺されし被差別者が四国に流されたとみてよいかもしれぬ。そもそも四国には物部、忌部、佐伯なにがしつまり俘囚、紀貫之などが流される島であったわけだから。


氏族支配者・・・家臣団・・・民人・・・被差別民・漂泊者・神人・芸能民
主祭神祖人・・・・・・・・・・・・・・後ろ戸神・障礙神 ・障碍神(多羅神・一言主などなど)


障碍神あるいは障礙神 
この意味がわからないと、後ろ戸そのものを理解するのはむつかしくなろうと思える。
マハーカーラ。
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物部氏にも、葛城氏にも、蘇我氏にも、大伴氏にも、菅原道真にも、おそらく負けた氏族にはみな、秦氏同様の摩多羅神(またらじん=マハーカーラ)がいるはずである。

それは神話ですら、大国主には少彦名がいたわけである。

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大山誠一が言う通り、大国主が蘇我氏であるなら、少彦名は蘇我氏を助けていたものという理解ができることになる。ならば大国主の背後の神少彦名とはとりもなおさず蘇我氏の下層にいた被差別に相違なく、それは家臣であった東漢氏・西文氏が管理しただろう。

出雲の神は国を譲って全て消える。少彦名も消える。事代主も消えるのだ。消えれば地方へ去り、そして後ろ戸神を祀って主人の神霊を陰ながら守護したであろう。

聖徳太子は異形の後ろ戸であり、月読であった。それは勝者が作った後ろ戸だったからだ。


このように後ろ戸神は秦氏に限ったことでなく、すべての敗北者氏族と部民に存在する「人を食う神」である。

画像はこの神の研究に必要な著作と見分経験。



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