夕餉の支度をしながらひらめいたことなので、確信も信ぴょう性も自信はないが・・・。

朝ドラの主人公千代のモデルが松竹新喜劇の看板女優だった浪花千栄子(なにわ・ちえこ)だということはご存じと思う。この人、本名は「なんこう・きくの」と言う。子供の頃、彼女はこの本名から大塚製薬のオロナイン軟膏のCMに出ておられ、「わたし、本名はなんこう・きくのと申しますのんえ」と流ちょうな浪花言葉で語っておられたことを今でも忘れない。強烈な印象だった。軟膏が効くの?というお名前がである。

さて、実際の浪花千栄子、本名南口キクノさんは大阪府南河内郡大伴村大字板持(富田林市東板持町)の貧しい養鶏場経営農家に生まれている。ここらに南口という氏姓は昔はけっこうあったらしい。


その南口という苗字だが、圧倒的に大阪府と奈良県に多く集中していて、宮本洋一氏出版の日本姓氏語源辞典 - Google 検索 によれば、


由来と語源 — ミナミグチ 【南口】5 日本姓氏語源辞典. 大阪府、奈良県、和歌山県。 ①地形。南の出入口から。鎌倉時代・南北朝時代の武将である楠木正成から賜ったとの伝あり。」

とあり、一部の南口さんには、楠木正成から賜った苗字と言う伝承があるという。

楠木正成(くすのき・まさしげ)は通称「楠公 なんこう」で、南北朝の争いで南朝側について敗北した武将である。出自は不詳であるが、筆者知るところでは楠公最後の戦いの舞台は千早赤阪村。金剛葛城山地の中腹である。そして葛城山は大阪府と奈良県にまたがる山である。その双方に南口さんは集中しているという。「南口」(みなみぐち / みなぐち / なんぐち / なぐち / なんこう / みなくち)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力 (name-power.net)




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南口姓の県別分布


1 大阪府(約1,600人)
2 奈良県(約300人)
3 和歌山県(約200人)
4 石川県(約200人)
5 北海道(約140人)
6 兵庫県(約130人)
7 京都府(約120人)
8 島根県(約100人)
9 東京都(約100人)
10 愛知県(約80人)


市町村別分布
1 大阪府 堺市(約300人)
2 大阪府 東大阪市(約300人)
3 和歌山県 海南市(約130人)
4 大阪府 和泉市(約110人)
5 島根県 江津市(約100人)
6 大阪府 八尾市(約70人)
6 大阪府 大東市(約70人)
8 大阪府 河内長野市(約70人)
8 兵庫県 尼崎市(約70人)
10 奈良県 橿原市(約60人)

となっている。ただ「みなみぐち」さんもいるので、「なんこう」さんの正確な数値はわからない。

筆者の旅の記憶では、千早赤阪に近い葛城山中に葛城一言主神社があり、そこに楠公のいわれや、一緒に土蜘蛛伝承の書かれた看板があった。敗者だったからそういう扱いをされた人々もいたんだろうと、その時は思っただけだ。しかし土蜘蛛となると、記紀が書いた先住民だ。?だった。

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葛城一言主神社 Kawakatu撮影



朝ドラを観ていて、なぜ千代の父親があれほど貧しく卑しいのかとわからないままだったが、もしかして、実際の浪花千栄子つまり楠公さんから氏姓をいただいた南口さんたちは、やはり楠公敗北後は差別されただろうと思い当たり、はっとしたわけである。

記紀の一言主は葛城山の神で、雄略天皇が狩りに行くときに顕れて、まったく雄略と同じ姿をしていると書かれている。同じ姿で別人の神・・・。ここにはのちの漂泊民たちが「天皇と同じモノ」という発想が垣間見える気がする。敗北者、反逆者、あるいは流離した皇族・・・そういうモノ 独特の着想が見えないか?

ここには、時代が時代ならとか、勝っていればとかの反骨の精神が見えたのである。


そのように敗者から見た歴史というものはあったはずだ。

考古学でさえ、そこに気づいた。
民俗学もそこに気づいた。
しかし惜しむらくは、文献学者はそこに気づかぬふりをする。

私たちの敗者の古代学は、むしろそこからこそ始まるのである。

高鴨の菊水、一言主の菊花に一文字・楠木正成と菊花紋 : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp)



kodaisihakasekawakatu.blog.jp/archives/16263176.html

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高鴨神社(高鴨阿遅鋤高日子根あじすきたかひこね神社) Kawakatu撮影
八重事代主神社を封じ祀る。全国鴨神社総本社。

大国主神が胸形三女神の奥津宮に坐す多紀理毘売命を娶って生れた御子が、阿遅鋤高日子根神と伝わる。阿遅鉏高日子根はヤタガラスであり鴨雷大神(かものいかづちのおおかみ)。高龗神(鴨氏貴船神)である。出雲の八重事代主(えびす)を封じるとともに鎮護する神だ。


役行者の反骨と修験はそういう下地から生まれた敗者の伝説でもあったんじゃないか。
敗北と反骨とは?筆者の、そこからが真の古代史解明が始まった。
それはとりもなおさず秦氏研究から第一歩を歩み始めた。

それが諸氏の歴史研究のヒントになるなら至上の幸せである。

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