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諏訪湖と守屋山

物部守屋は諏訪湖が見える守屋山(もりやさん)山頂に祀られている。
小さな石の廟だ。
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 「諏訪神社上社には、神長官「守矢氏」がいました。物部守屋とは姓と名(と文字)の違いがありますが、読みは同じ「もりや」です。守屋山・物部守屋神社・守矢氏と揃えば、当然ながら、これに飛びついて多くの人が話題にしています。最近は「モリヤ」も加わって突拍子もない話が流布し、今や「バラエティと国際色豊かな守屋山」になっています。」
物部守屋神社奥宮(守屋山) (yatsu-genjin.jp)


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守屋神社(物部守屋神社) (yatsu-genjin.jp)





なぜ河内渋川を本拠にし、飛鳥に生きて死んだ物部守屋が諏訪に祀られるのだろうか?
それに関わったのは、諏訪本宮大社、前宮を管理する神長官守矢氏が深く関わったと思うしかない。

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諏訪上社本宮

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本宮とご神体の蛇しめ縄
大物主=ナガスネヒコ?


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諏訪大社 (oct-net.ne.jp)

ほかに考えられまい。
諏訪の神長官守矢資料館へ行ったのはもう10年も前だ。すると裏にある終末期古墳はいったい?

諏訪大社四社すべてを回った。
前宮と本宮の中間にあるこの資料館は、建築士藤森氏の手になった。くしくも物部氏の京都の武器庫だった藤森神社を出自とする藤森さんだ。だから資料館入り口にも藤森神社の小さいが祠がある。藤森姓は静岡県に多い。守屋敗北後、京都から移住したのではないか。静岡から富士山の山梨側へ出れば諏訪茅野市は遠くない。なだらかな道。諏訪の突風はここを抜けてくる。
「出産文土器が出土した北斗市酒吞場遺跡から長野県伊那市月見松遺跡を経て茅野市井戸尻へつながる富士平の「富士眉月弧 ふじまゆづきこ」」

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諏訪大社祭祀の完全攻略その3 みずち・蛟・龍文の謎を解く 富士眉月弧出産文土器を見よ : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp)




神長官守矢氏もおそらく守屋の子孫なのだろう。
つまり物部氏は四天王寺の前身神社、あるいは大阪市鵲(カササギ)森の宮神社、茨城の香取神社にだけではなく、あちこちに守屋の霊魂を祀ったらしい。それは物部氏が丁未の変以後、筑紫物部だけではなく、全国に流懺したことを証明する。すべての神社を回って、諏訪まで行き、香取へも行って、弥彦も唐松も、高知の物部村にも行ってもわからなかったことが、守屋山の守屋神社を知ってはじめてわかった。

ならば蘇我氏も物部氏もちゃんと存在したのだということだ。記紀は氏族を創ったわけではないことがわかる。少なくとも飛鳥時代以降は。継体以前はわからない。河内王家の大元は吉備、豊、筑紫・出雲の同盟体だから。



まさか八ヶ岳山塊に守屋山があったとは!


くやしいが気づかなかった。

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 「諏訪では、守屋山と釜口(天竜川の流れ出し口)の二つを直接目視できるのは諏訪湖北東岸に住む人々に限られます。守屋山を紹介する歌として必ず取り上げられていますが、観天望気としての恩恵を受けるのは一部の地域に限られています。」同サイト

諏訪湖北東とは本宮がある方角である。そうか・・・。







このサイトには感謝せねばなるまい。
ヒントをくれた古代史四方山話の咲くやこの花さんにも感謝する。
大分の家にいながらにして、諏訪へまた行けた気持だ。三度目になった。

やはり守屋は守矢氏によって諏訪に祀られたのだ。

有明神社が長野にあるのも、筑紫にちらばる物部氏のうちの熊本の人々が入ったせいだろう。
では熊本の石川神社の蘇我氏も、ゆかりの人がいるからだとやっとわかった。
これについてはかつての熊本の自転車古墳巡りの友人クマさんにも感謝する。


タケミナカタが洩矢神を追い払った記事は、物部氏とどう関わるかはわからない。
茅野市には縄文の痕跡が山ほど展示されていて、在地縄文人洩矢神一族がいたことはあっただろうから、富士山からの道で静岡・山梨からやってこれた縄文人だったろう。

もしやナガスネヒコの先祖かも知れないな。
俄然面白くなった。

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