ななな
九州は往古から南北に棲み分けがなされていた。
いわゆる記紀が言う熊襲、あるいは倭人伝が言う邪馬台国を首都にした女王国と狗奴国。

どちらも対立していたと記録が言い共通点がある。


九州には南北文化を分断する巨大な火山灰のベルトが存在する。

 
鬼界カルデラの吹き上げたアカホヤ火山灰層がそれだ。
北が女王国、南が狗奴国だ。それを分断するベルト地帯にからみつくように靫負装飾墓や装飾古墳が点在する。そのラインは葦北・八代~人吉~長湯~浮羽・日田まで続き、最後に山口県の轟土器中心地に一直線である。

記紀なら南は熊襲の住処である。

アカホヤは鹿児島県を代表する地層で、名前の通り赤くてほやっと(ふわっと)した、まことに農業には不向きな土。桜島大根やタバコやお茶くらいが特産だった時代は長い。


ここに球磨族と曽於族がやはり南北で住み分けていた。

それが縄文の轟式土器が出る遺跡の分布からも明確化する。これが狩猟遺跡とリンクするのだ。

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轟B2と3式土器

todoroki


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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(11)~宗像神の起源 - 日本古代史つれづれブログ (fc2.com)


さらにさらに九州を斜めに横断する三本の構造線も、さらに南北を分断している。

いわゆる中央構造線(別府湾~一の宮)にともなう三本の構造線である。

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中央構造線 九州 民族学伝承ひろいあげ辞典 - Google 検索

このコースには免田式土器や熊襲居住地と言うクルソン渓谷、金峰山・銀峰山など、ヤマトタケルが歩いた崖道が存在する。筆者、人吉からこの急坂を上下して馬見原~高千穂まで縦走したことが何度かある。また仏像構造線で臼杵の柱状節理やピンク石露頭、白鹿神社のイノシシ頭骨遺跡なども。あるいは熊本から湯布院経由で宇佐までも日常的に利用した。

熊襲と言えば免田式土器だけだと思いがちだが、轟式はもっと広範囲に広がった。この二つの土器が熊襲あるいは狗奴国勢力の移動にリンクするか?

さて、今後のお楽しみ。

ああとはあなたが考えてくださいね。Kawakatuはもう年だから、今後ヒントだけ書こうと思います。もちろん確実な答えだと思ったら書きますが。

情報はあなたと常に・・・

kyouyuu

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このタグ、なんかしらスサノオやヒボコの神宝に似てるね。


じゃ、ついでに十種の神宝を(とくさのかんだから)




十種神宝



なぜこんなところに?
昨日貼り付けた画像群があったでしょ?
ああそこにもこれに似たのがあったでしょう?

はい前の記事に戻って見よう!

じゃあ夕方またお会いしましょう!お互い生きていたら。

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