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諏訪神社にタケミナカタが祭られたことについて、記紀神話の出雲国譲りにある出雲のタケミナカタが敗北して諏訪へ逃れるのは、相手がタケミカヅチだったことになっているわけだが、タケミカヅチは藤原氏の神なので、歴史上の宰相の奪い合いが神話記述や諏訪神社伝承と合致していることになる、という考え方をされる人もいる。

さらに諏訪に入ったタケミナカタが、地元の曳矢神(もれや)と戦いこれを追い出すというのが、物部守屋を蘇我氏が滅ぼし、物部氏が各地に流懺したであろうことに合致するとも。

ならば出雲神話は、中央での政治交代劇を象徴的に描いた創作だったことになるだろう。


見事な一致である。

タケミナカタとはつまり敗者蘇我氏ということに?


記紀神話は最終的な勝者となった藤原氏のための歴史書。
出雲にたくして飛鳥の出来事を描き出したと考えて当然だろう。

ただ、記紀特に『日本書紀』は藤原不比等の意向が盛られた史書だが、『古事記』は多氏が蘇我氏の意向を受けて書いた史書だったとすると、どうなるのだろう?


そこはちと気になっている。

『古事記』は天武天皇を中心に考えられていると序文にあるわけだから、宰相クラスには無関係に見える。しかしそこには出雲神話が存在しない。そして天武と持統は諏訪に都を移そうとしている。天武の時はすでに蘇我氏は敗北しているが、蘇我赤兄などがライバル天智の大臣であり、彼らは天武によって遠ざけられたという経緯もある。

ここには物部氏・蘇我氏よりさらに古い外戚である葛城氏が出てこない。ただし蘇我氏は葛城氏の枝氏で、祭る神は葛城一党の祖人である武内宿禰で共通。どちらも出雲大社や八幡に祀られる武内宿禰。この流れの大元にはスサノオがいるとみられるのだが、スサノオの子供は同族紀氏の祖である。


この紀氏が不比等の盟友であったことは知られており、『日本書紀』出雲神話には紀氏の、紀州における五十猛祖神信仰が背景にあったと考えている。スサノオを出雲にクローズアップしているのは『日本書紀』だけで、風土記ではちょいわき役の地主神としてしか登場しないのを、紀氏が英雄として『日本書紀』にあえて大げさに描き出したと思えるのである。

出雲を欲したのは飛鳥の直前の大王継体だが、継体王家を乗っ取れたのが欽明。欽明の宰相はおそらく蘇我馬子の父である稲目であろう。『日本書紀』はそこまで視野に入っていただろうから、欽明=飛鳥王朝開祖を蘇我氏がバックアップして継体王家を乗っ取ったとなり、それが物部もまた追い出すからこそ、藤原氏には蘇我氏が許容できなかったのが一巳の変の実は本性ではなかろうか?


役に立つ論考を読ませてもらってすっきりした。

もちろん『日本書紀』本文が事実であることが前提ではあるが。

参考 蘇我氏は諏訪と関係がありますか? - 古代四方山話 (goo.ne.jp)



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