大河ドラマが渋沢栄一をドラマ化している。
栄一の孫が敬三で、子爵家を彼が引き継いだ。
渋沢敬三の経済活動のもうひとつの一面が民俗学である。
彼の意向で、全国を常民を訪問して旅したのが「旅する巨人」・宮本常一である。
歩いた距離は地球四周分!各地で生きた話を採集した民俗学者が教える「物の見かた」と「人との接しかた」の秘訣とは(本がすき。) - Yahoo!ニュース


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山には「塩の道」もあれば「カッタイ道」もあり、サンカ、木地屋、マタギ、杣人、焼畑農業者、鉱山師、炭焼き、修験者、落人の末裔…さまざまな漂泊民が生活していた。ていねいなフィールドワークと真摯な研究で、失われゆくもうひとつの(非)常民の姿を記録する。宮本民俗学の代表作の初めての文庫化。解説文より。山に生きる人びと (河出文庫) | 宮本 常一 |本 | 通販 | Amazon
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常一が歩いた場所は山。里山であり、そこの庶民の生活・民話などを採集する目的に中で、いつしか彼も漂泊民に出会うことになる。かつての柳田がそうだったように。


今、私たちが里山を訪ねてももうサンカも山人もいなくなってしまった。ところが出会ってしまう民俗学者もいるのだ。まるでニホンオオカミのような絶滅危惧種だと言えるか。でもそれはすでに定住したかつての漂泊民がほとんどである。


さて、モンゴルには馬を育てる遊牧民がいるが、これが最近の政策で都市へ定住させられていると聞いていて、テレビなどで、それがゆえに彼らが都会で職がなく、激貧に苦しんでいると言う。そういうことが日本でも、元漂泊民に起こっているのではないかと思える。

遊牧も漂泊も、それで食えていた。最低限豊かな生き方ができる自由人だった。それが政治によって国家に組み込まれると食えない。皮肉なものである。


渋沢栄一の家は豪農で、養蚕と藍玉で庄屋であり、その資金源が彼を中央に押し上げ子爵にまで昇った。その孫の敬三は経済・経営で名を成し、民俗学を愛した。まったく相反する経済と学問を敬三は矛盾なく両立させることができた。その彼の弟子は、これまた敬三の暮らしとは正反対な山の民に出会う・・・まことに光と影。

敬三は日本の経済発展のために、その基層にある平民たちの暮らしぶりが知りたかったのだろう。そして宮本から聞く漂泊の山人のことを聞いて、柳田のように憧憬を感じたのだろうか?

いつどうなって自分もそうなるかも知れない・・・明日は我が身・・・実は現代はそういう危険性が如実に存在する社会だ。そのときあなたは自由人になるか、保護をありがたいと思うか。そういうことをわれわれは考えるゆとりを持って生きる必要がある。

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