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 方言周圏論(ほうげんしゅうけんろん、英: center versus periphery)は、
方言分布の解釈の原則仮説の一つ。 方言周圏説(ほうげんしゅうけんせつ)とも呼ばれる。 方言の語や音などの要素が文化的中心地から同心円状に分布する場合、外側にあるより古い形から内側にあるより新しい形へ順次変化したと推定するもの。見方を変えると、一つの形は同心円の中心地から周辺に向かって伝播したとする。柳田國男が自著『蝸牛考』(刀江書院1930年)において提唱し[注 1]、命名した。
方言周圏論 - Wikipedia

katatsumuri


柳田國男『蝸牛考(かぎゅうこう)』
 「「言語変化の波状説」 ([2012-01-21-1]) や「古語は辺境に残る」 ([2012-01-22-1]) で波状説や言語地理学 (linguistic geography) について触れた.日本における同様の説としては,柳田国男 (1875--1962) が『蝸牛考』 (1930) にて提唱した方言周圏論が有名である.

 『蝸牛考』は我が国における言語地理学の最初の論考であり,そこで示された方言周圏論は,1872年に Johannes Schmidt (1843--1901) の発表した the wave theory (Wellentheorie) の日本版といってよい.柳田が Schmidt の説を知っていたかどうかは明らかでないが,フランスの言語地理学については学んでいたようであり,発想の点で間接的に影響を受けていたということは考えられる.

 柳田は,語によって方言ごとに異形の種類はまちまちであることを取り上げ,これを各語の方言量と呼んだ (21) .とりわけ方言量の多い語として,柳田が方言調査のために選んだのが「蝸牛」である.まず,京都を中心とする近畿地方で「デデムシ」の分布が確認される.そのすぐ東側と西側,中部や中国では「マイマイ」が分布しており,さらにその外側,関東や四国では「カタツムリ」の地域が広がっている.その外縁を形成する東北と九州では「ツブリ」が,そのまた外側に位置する東北北部と九州西部では「ナメクジ」の地域が見られる.蝸牛の呼称の等語線 (isogloss) は,細かくみれば,多くの言語項目の方言線と同様に錯綜しているが,図式化すれば以下のようになる(波線で表わした長方形は日本列島に相当).」

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#1045. 柳田国男の'''方言周圏論''' (keio.ac.jp)



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方言周圏論 - Google 検索

核種画像の出所




古代から近代まで、言葉は中心から円を描くような波紋になって伝わったという考え方。ただし古代とは畿内大和地方が中心地になって以降=だいたい3世紀古墳時代の始まりとリンクした時代。それ以前の中心地は1北部九州、2吉備・瀬戸内地方だったと考えられ、そのほかに日本海、東海、北関東に独立的な小国家も並立し得ていたと考える(Kawakatu)。


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1997年
中学社会教科書より


戦後以降は、教育の言語一元化(共通語一本化による民族同化策)とテレビやラジオの影響を強く受け、東京山の手言葉が急速に広まった。この伝播傾向も例外はあるが基本的に周圏的である。言語学者の金田一晴彦はこれを日本地図に落とした分布図を作っている。



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内輪とは近畿近隣域で、いわゆるかつて畿内と呼ばれてきた地域。
その外側に接するのが中輪、さそのらに外輪としてある。

この図で考えればだが、北部九州や瀬戸内東部地帯が、久しく日本の首都的役割をしていたなら、方言もまた、当時、西から東へと波紋になって広がったであろうし、その言葉は朝鮮南部との共通性を持ったエスペランチックな言語だっただろうが、それが近畿中心部に入って関西弁の根幹になった、と考える手もあるだろう。ところが、古代~現在に至るまで、両地域の言語方言は奈良時代以後の古語を残存させる近畿言葉の影響が色濃く残っているのであるから、両地域の繁栄と列島支配は、あったとしても短期間(紀元前1頃~2世紀後半まで?)であったことが想像できるのである。それでも約300年はあるのだが、この期間には丹後・若狭や出雲、東海、甲信越などに小国家が分立してもおり、なかなか統一とまではいかなかっただろうと想像する。

奈良時代までに、畿内は列島の中心部という立地条件と、瀬戸内で奥まって大陸から遠いというアクセスの特殊性を生かして、中心地へ集約してゆくわけだが、その古代における嚆矢となったのはやはり前方後円墳による葬礼様式使用権の許諾制度確立に見える気がすると松木武彦などが申している。


もう一度教科書の古墳文化圏を観てみよう。


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円で囲った古墳文化圏はあくまで前方後円墳型の墳墓をたくさん作れた地域であり、前方後円墳自体は南は鹿児島(一部空白地帯があるが)~東北岩手県まで広がったのである。ほかにあった各種のバラエティ的な墳墓はやがて消えてしまう。

しかし前方後円墳文化もいつまでも続かない。飛鳥時代になると墳墓は方墳や上八角、上円の下方墳に激変、規模も小さくなる。さらに奈良時代までには貴族層だけだが火葬風習も入り、仏教式のコンパクトな墓になって現代に。


ところが北海道のアイヌや琉球の民族は、これらすべてに従わず、独自の埋葬形態を維持した。こうしてみると日本は、畿内・内輪地域・中輪地域・外輪地域そして埒外地域と隣接共有島嶼地域の大きく四つの区画が意識されてきたことがわかるのである。


海外で言えば、イギリスは今も三つの地域に大きく分かれている。イングランド、スコットランド、アイルランドであるが、それ以外にもサセックスやらの公国が点在する「イングランド王の名のもとの連合体」である。アメリカですら最近クローズアップされてきたように「二つのアメリカ」という、これはやや政治的歴史的な対立があって、それ以前からアメリカには白人たちが言う「人種」による区画分けが存在してきた。アメリカでは立国に関わったスコットランド人が最上位という伝統的思想があって、白人でさえ細かく民族差別と階級が存在する社会である。

日本は明治以降の同化策や廃刀が成功した結果、民族間の対立は大陸ほど顕著には見えないようになっている。しかし現地へ行けば、もっと細かな地域ヘイトは確かにまだ残存しているようだ。


最近では、基地問題で本土の右寄りSNSや県外警察官などが沖縄県民を「土人」呼ばわりしたり、アイヌへの人種差別も少なからず聞こえることもある。


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