民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

真赤な彼岸花が稲穂のあぜに満開でした。我が家では白いリコリスが満開。
昨夜の名月、光る雲の中から一瞬顔を出しました。ちょうどベランダに出たときで、ぱちりできましたよ。
そんな記事をKawakatuワールドブログに書いています。中秋の記事です。メニューバーからどうぞ。


●ケセン語

「ケセン語 (ケセンご、気仙語、氣仙語、ケセン式ローマ字表記: keseng̃ó)とは医師の山浦玄嗣が気仙地方(岩手県陸前高田市・大船渡市・住田町および宮城県気仙沼市など)の方言を一箇の言語と見なして与えた名称である。仮名でなくラテン文字(ケセン式ローマ字)で書かれる正書法を持つ。2002年7月7日にNHK教育テレビの「こころの時代」という番組で採り上げられ、その名を社会に知られた。当時気仙周辺で生活していた蝦夷の言葉の影響を受けた言語であり、発音体系が標準語とは大きく異なっている、と同番組では紹介されていた。現在、山浦がギリシア語の原典から訳した聖書が出版されている。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%BB%E3%83%B3%E8%AA%9E



●山浦玄嗣(やまうら・はるつぐ)
「2ヶ月ほど前、NHKで取り上げられていた話題ですが、「ケセン語」なる 言語が日本の東北地方にあるのだそうですね。方言ではなくて、立派に独立し て存在する言語だそうです。早い話が… 気仙地方の、いわゆる「ズーズー弁」 の事なのです。


 長らく関西に住んでいた私は関西語(関西弁というのが普通か)が大のお気 に入りでして、これを「方言」というのは可笑しいと思う気分があるのですが、 ズーズー弁だって、これを東京弁と比較して見苦しいものとする視点はいささ か狭量ですね。


 で、ここに信念の有る人物がいまして、「ズーズー弁は日本語・いわゆる東 京標準語とは別個の、独立した一言語である」と宣言したという次第(^o^)




 この「信念のある人物」というのが、7月中旬、NHKの教育TVで特集さ れていましたし、8月に入ってからは朝日新聞の「人物」欄で取り上げられている ほどの話題の人物なのですが… この人物の書物をネットのコム (http://www.amazon.co.jp)で検索してもヒットしないので、このメモを諦め かけていたのですが、ようやく下記のようなデータが見つかりました。


1)この人物の名前は「山浦玄嗣」(やまうらはるつぐ)さんです。
2)山浦玄嗣さんと「ケセン語大辞典」
  http://www.mumyosha.co.jp/topics/0101/topics03-c.html

中山千夏議員(当時)の過去の証言によれば、東北出身のある議員が登壇してしゃべり始めると、議場は野次で溢れかえりひどいものになったという。「日本語でしゃべれ」「外国語を使うな」・・・。
それほど東北弁は聞き取りが困難で、関東以西の議員には失笑と嘲笑があふれたという。

気仙沼の「けせん」がこれを語源とする地名である。






●外輪方言と敗者と差別


http://file.nakasimahigasi.asukablog.net/Img/1434776259/

これは金田一春彦(言語学・国語)が作成した日本語の区分図である。これを使って岡本雅享(まさたか。島根県出身民族学)は「(金田一が)「外輪方言(地図の色の濃い部分)」と区分した東北、出雲、九州南部は、記紀の中で「英雄」ヤマトタケルに征討される「まつろわぬ」人々(蝦夷、出雲、熊襲)の地域とほぼ一致する」と書いている(『民族の創出 まつろわぬ人々、隠された多様性』岩波 2014)。



Kawakatu的な逆説で言えば、それはほかの地域が、早くから畿内に「まつろった」=帰順した、いや大王家に並立し、輪番制で交代できる王家のあった場所だという意味でもある。

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「アイノカゼ」使用頻度の高い地域

福岡  1
山口  2
島根  69
鳥取  80
兵庫  6
京都  17
福井  12
石川  38
富山  24
新潟  28
山形  3
秋田  14
青森  53
北海道 58
(北海道は新参の外来者が多いが、それでも多い)



「アイの風」は日本海側一帯で使われる風の名前である。アイヌカゼか?


●アイノカゼ・・・日本海沿岸限定の風の名。アユの風から来ている。ろくに田畑・耕地を持たなかった沿海の百姓(ひゃくせい)たちは、この風が吹いて日本海を行く船舶が難破遭難し、漂着するのを心待ちにしていた時代が長かった。アユは古代から神饌(ニエ)の代表であり、アユが多かった河口部を「あゆち」=今の愛知などとも名づけた。漂着物・漂着者はつまり貧民にとっての来訪する生贄なのであった。この風は季節に無関係、方向にも無関係に呼ばれているから、意味はそういうことしかありえないのである。」当ブログ言葉の意味・アイノカゼ/オモニ/白峰より




●来訪神と鬼 神と鬼は地域での違いでしかない
鬼出雲地方では半島からの漂着者のことを神と呼ぶ。来訪する神つまり精霊とするのだ。これは外来者をよく受け入れた表現になる。これが畿内では「新羅神」などに共通する。出雲が神々の国であるという発想は、要するに神=渡来漂泊者、侵入者を神格化したのであり、中央の新羅神とは、逆に渡来漂着者たち自身が、故郷の神を神格化したのであろう。成り立ちは正反対だが、いずれも押し込められた人々の信仰で共通してくる。


一方、東北地方新潟などでは来訪者は「鬼」である。山奥の洞窟などに隠れ住み、言葉が違う、風習も、相貌も違う渡来人をそう考えた。西日本でも、吉備などでは「温羅 ウラ」のようにやはり新羅から来たとか、百済から来たとか鬼扱いで、ヤマトタケルが出雲タケルを滅ぼしたように、吉備津彦やあるいは桃太郎によって成敗される鬼となったものもいた。頻繁に来訪者が漂着する日本海側と、それ以外の地域では、このように来訪・渡来への考え方が正反対である。渡来人は困りものではあるが、同時に大陸の新技術を持ってやってくる「まれ人」でもあり、ゆえに出雲のように、明治時代まで製鉄産業日本一だったところや、北陸・越前のように職人文化が隆盛したのである。




http://file.nakasimahigasi.asukablog.net/Img/1434776680/


江戸時代の北前船のコースを見ると、すべて日本海側の潟湖を中継港とし、北海道までの航路は、対馬海流を最大限に使っていたことが見える。

ところが明治になって鉄道が敷かれたのは、圧倒的に太平洋側ベルト地帯であった。江戸と明治の考え方の違いは、内向と外向の違いによるものが大きいが、これによってのちのち、日本海側を「裏日本」と侮る風潮も生まれてしまう。出雲や北陸が、相変わらず日本の殖産興業の大半を占めていたにも関わらず、明治政府はイデオロギーとして、あきらかに日本海に背を向け、伊豆・下田・横浜・神戸からの西欧交易の道を太平洋側に決めたのだった。


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対馬海流による漂着地



太平洋航路については、日本は圧倒的に遅れていたのだが、蒸気船による外洋航海を手にして、伊豆諸島・小笠原諸島(無人島=ボニン・アイランド)を中継基地として東西へ向かう。アメリカへは、かつての黒船や、もっと前のイスパニア艦隊の道であったメキシコ湾流が使われた。しかし、古代へ遡れば、その海流はすでに南海のラピタ人(のちのポリネシア民族)によって小笠原へとつながるルートの支流として存在し、縄文人もまたこれを利して、南米コスタリカやエクアドル、マゼラン海峡へと足を伸ばせたグローバルな「海のシルクロード」でもあったのである。古代のほうが、日本人は雄大な小舟による移動を怖がらなかった。



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古代渤海からの想定される漂着



●諸外国の海洋ルート
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黒船






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キャプテン・クック





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ラピタ人の航路(日本近海コース)




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ポリネシア海洋民の道






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縄文人の類推航路





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縄文中~後期人の東西貝の道






海の民は外洋を怖がらない。




ケセンとはしかし語源はなんだろうか?
いわゆる菊池山哉や喜田貞吉らが書いた「毛人」であろうか?
「毛」は蝦夷を呼ぶ大和中心の言葉である。それを東北人が使うだろうか?


上野・下野は「けのくに」でモウジンの国という、これまた大和中心主義な国名にされたか?
いや「け」は「食」であり、神への贄を差し出す=税金支払い者への蔑称でもあった。その中心は農民であり、海人や渡来工人ではない。つまり百姓(ひゃくせい)のうちで水呑みではない民である。その多くは確かに蝦夷ではあろうが、のちにどんどん開拓民が西国から入った。


 
先の3・11大震災での2ちゃんねるにおける東北・福島県民原発事故被災者への差別的発言も、岡本は具体例をあげて指摘している。東京や関西の人々の福島県民への差別・誹謗・中傷はひどいものがあったようだ。




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