民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

秋の味覚ぎんなんです。
今年は豊作だそうな。

台風が通過中ですが、まったく風もなく、姿が見えません。

 
森浩一著
『敗者の古代史』記紀を読み直し、地域の歴史を掘り起こす
中経出版
2013年6月
 

 
目次
①饒速日命
②タケハヤニス王
③狭穂姫
④熊襲の八十梟帥
⑤忍熊王(劔御子)
⑥市辺忍齒王
⑦菟道稚郎子
⑧両面宿儺
⑨墨江中王
⑩大日下王
⑪市辺忍齒別王
⑫筑紫君岩井
⑬物部守屋大連
⑭崇峻天皇と蜂子皇子
⑮山背大兄王
⑯蘇我稲目・馬子・蝦夷・入鹿
⑰有馬皇子
⑱大津皇子
⑲大友皇子

タイトルを見ただけでもこれは歴史上の敗者への見直し論であることは一目瞭然である。
古代史初心者向け。
 
森さんは、それらのひとつひとつの論考に、決して決着をつけてはいない。なぜなら彼が専門学徒であり研究「者」であるからだ。

通り一辺の結論を書きたがるのは、われわれ在野の自称研究「家」だけである。
研究者・森浩一は断定は避けつつも、生前から、研究家・愛好者たちに実に示唆に富んだ天啓を与え続けてきた存在である。

考古学者にとどまらない「古代史学者」としてのパイオニアであった。
 
なぜ磐井の乱は「いわいの乱」であって、継体・磐井戦争とは言われないできたか?
なぜ壬申の乱などなどの例のような、勝敗を明確にしない年代名にしなかったのか?

そういう素朴な疑問からこの人の解釈は始まる。だから素人には親近感があり、理解しやすい書き方になる。
そしてさまざまの知識を与えつつも、さらなる疑問を増やしてくれ、調べてみたいと思わせてくる。
さすがは考古学による「村おこし」「地域振興」を考案したパイオニアである。
この人の後にこの人なし。

歴史推理と深い記紀知識という分野を切り開いた、「学者らしくない学者」である。
敗者へのいとおしい視線、そして勝者の論理で書かれた史書への消えることの無い疑念と懐疑。
森浩一は永遠の青年だった。

おとっつあん、じいさまのように、若いくせにすぐ権威的論考に感化されることの多い、若年寄ばかりの学界に常に新風を吹き込む森浩一の死は、まったき学界の至宝が消えたに等しい。
 
 
いくつかの示唆に富んだキーワードを書いておこう。
 
「大和は山門と表記した」
「白肩の津とは今の盾津である」
「桜井茶臼山古墳は外山茶臼山とぼくは呼んでいる」
「外山とは鳥見である」
「先代旧事紀のニギハヤヒ東征は記紀の神武東征よりはるかに具体的」
「饒速日の「饒」は「にょう」で、豊と同じく食料のこと」
 
最後の一文で筆者は自分の住む豊後にも「豊饒(ぶにょう)地名があることをはっと思い出さされた。
そういう良字表記の地名の場所は、まずたいがいが贄を出す部民がいたものである。地名のはれがましさに反比例して、たいがいひどく差別された人々が住んでいた。つまりそれらは「敗者地名」ではないかと、一度は疑ってみたほうが、天啓は与えられる。
 
 
物部氏とニギハヤヒについてはもう一度筆者自身も書き残していることがあるとこの本は気づかせてくれた。
 
死せる森 生けるKawakatuを動かす
である。
 
合掌
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

このブログにコメントするにはログインが必要です。

↑このページのトップヘ