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病室よりKawakatu作

「か;竈神(かまどがみ)=荒神 久那土神とも
拝火教に現れる火の神に鉱物神・鍛冶屋神が結びついたもの。=金山三宝荒神
顔が三面、手が六本のイドラ=ヒドラ=ヒンズーの火の神から発想したか。
ここから仏教と結びついて蔵王権現、虚空蔵菩薩、密教の不動明王なども派生すると思われる。

竈の神は灰の中に隠れて居るとも言われ、炭焼きの信仰ともなっている。
われわれにとってしかしもっと怖いのは、現代の台所を占拠して、鬼の居ぬ間にキッチンドランキングにふける山の神であろう。」
http://kodaisihakasekawakatu.blog.jp/archives/16265715.html


かまどであるかぎり、その本体は火の神であろうから、神話ではカグツチとなる。

「くなど」という別名はWikiによれば

「岐の神(クナド、くなど、くなと -のかみ)とは、古より牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されている。 日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。 また、久那土なぐ、即ち交合・婚姻を意味するものという説もある。」とある。

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つまり「くなど」とは岐=二股の場所にいる神=ニョイン=コウジン=荒神=あらぶる自然神となる。これは『古事記』あるキノマタ神のことである。意味は子が生まれる二股で、つまり女陰部にほかならず、そこが烈火のごとく熱いわけだ。ゆえに火の神カグツチも、母であるイザナミの股から生まれたわけだが、とたんに父イザナギにより母が股を切り裂かれて死んだために、孤独な神となる。要するにイザナミ=女の股ぐらを「ほと」=火門と言うのは子宮の熱いことのたとえである。それゆえに竈はくなとであり、熱い場所。そこで食べ物を作るのだから食料=命の元を作っていることになる。それは子作りと同意だったのだろう。

岡山の吉備津神社の吉備津釜では、やはり鬼である温羅(うら)が吉備津彦に退治されてのち、灰に埋められてなお、巫女の呼びかけに答えて、灰の中から呻くのであるが、吉備津彦神社ではいまだにそれで吉凶を占っている。もちろん湯の沸騰する音が籠って響くだけの仕掛なのだが、言いたいことは、鬼は悪といった単純なものでなく、死してなお祟りもなせば、善行もなすというのが西欧の悪魔と違うところだろう。憎しみと愛が、日本人には入れ替わりながら同居する。愛憎にコトダマが見える。コトダマとは「やめておけ」である。


なぜ漫画の竈門炭次郎が人気なのかは知らぬが、その名前は明らかにかまども炭で、火であり、火とは製鉄であり、調理であり、子作りなので、イコール生命力。火の氏族とはかつては鬼であるから、鬼が鬼を滅ぼすと言う矛盾に、悲しさを観る日本人が好むのは当然である。まことに二月のお水取り前にぴったりの題材になっている。

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市松模様の意味は?
英語ではチェッカーというこの柄には、生と死が交互に描かれると言う、再生の意味が持たされている。この漫画が背景に手塚治虫の「どろろ」を感じさせる理由はそこだ。

全集中して読解せよ。

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