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日本でただ一ヶ所、大分県宇佐市大字山下にある貴船平下の裏山横穴墓群の中の一基だけに描かれた特殊な装飾。この円文を六脚輪状文(紋)だとしている学者は存在しない。以下の二つのサイトだけがこの名称を用いている。→
http://homepage3.nifty.com/obito/ooita.html
いずれも装飾古墳について詳しく見聞された信用できる人物のサイトであるが、九州国立博物館が運営している装飾古墳データベースでも、今のところこの横穴墓の装飾は円文としか表現されていない。
http://kyuhaku.jmc.or.jp/index.php?g=d_frame.php&index=&SEQNO=&PCD=44&KNO=17&modori=mjl


つまり六脚輪状文という装飾は、現在のところ、装飾の名称として正式には認知されていないというのが実情であるようだ。その語源は王塚古墳など多くの装飾古墳に描かれる双脚輪状文にある。ただし双脚輪状文のもとになったのは南海のスイジ貝が日本の足で歩く姿であるので、宇佐の六脚輪状文もまたスイジ貝がモデルと考えてさしつかえはあるまい。双脚輪状文の足がない代わりに、円文の周囲にスイジ貝の六本のとげが描かれたとみてよい。

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ダウンロード
ダウンロード (1)
王塚古墳双脚輪状文



ダウンロード (2)
双脚輪状文の王冠をかぶる埴輪
和歌山県大谷古墳

この氏族は紀ノ川の紀氏(きの・うじ)であろうから、王塚も宇佐も紀氏と考えるのが正論。


六脚輪状文という名称かも知れない(そういう名前にするのがふさわしい)と考えている人間は、ただいまのところ、筆者の知る限りでは、上記お二人と筆者、そしておそらくもう一人の装飾古墳好事家の四人だけ。日本にたったひとつの模様なのに名称はおおまかに円文であり、日本で四人だけがこれを「六つの脚?を持った円文」だと特別視したことになろうか。もちろん考古学が銘銘していないだけで、中にはそうだろうと思っている学者や好事家はもっといるのだろう。しかし、今のところネット上にはそうした学問上の名称を用いたサイトはゼロである。


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まして宇佐市の装飾横穴墓としても、ここの横穴墓群はあまりにもマイナーである。宇佐の装飾横穴墓で全国的に知られているのは四日市横穴墓群だけだろうと思う。それもなぜかと言えば松本清張氏の小説のおかげである。そもそも装飾古墳そのものが古代史、考古学の中でマイナーな存在で、一部マニアや、ともすれば衒学的世界でしか認知されていないようである。

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実際に貴船平下の裏山横穴墓群を見た筆者としてはそれが残念なことだと思うので、しつこいようだがまた記述しておくことにした。


同心円文も保存がよく、美しく保たれてきた数少ない文化財のひとつだが、残念ながら非常に取り付きの悪い場所にあって、見つけることは困難である(おかげで保存状態がいいのだが)。周囲を鉄柵で囲まれているのであるから、一般人も簡単には触れることができない保存環境。ならばもう少し認知されやすく見やすい環境が欲しいものである。とは思うが、百基ほどもあるこの横穴墓群の中にはほかにも装飾が残っているものもあるようで、それらに触れられても困る。実にもどかしいことである。
朱も鮮やかなこの円文を筆者は六脚輪状文とこれからも呼ぶことにしたい。なにしろ日本に唯一の特殊な絵柄であるから。



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