再掲載記事について
Kawakatuの過去の業績について、ブログがヤフーからライブドアに移行したことによって、ネット上での認知度が半減してしまったことを、筆者Hineは残念に感じてきました。よって、過去記事を選りすぐって再掲載してゆこうと思います。Kawakatuの晩年は多くの病魔、目のカスミなどなどで、たいした記事も書けなくなっていたと感じますので、元気なころに十分に研究したうえで書かれた高度な知識と慧眼、豊富なビジュアルを駆使するKawakatuならではの世界を再認識していただければ幸いです!!
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スタンダードは一般的には英語の標準、ポピュラーな、不易流行の観念などの意味であるが、考古学では「象徴的遺物」「威信財」。おそらくであるが、スタンド=立っているものから転じたのであろう。
そもそもは軍旗などをこう呼ぶことから「錦の御旗」で権威的、象徴的威信財である。
ウルのスタンダード(Standard of Ur)は、 ごろの の古代都市 の遺跡から出土した工芸品。発見者である の考古学者 の説にしたがって「スタンダード(Standard、旗章、軍旗)」と呼ばれているが、その実際の用途は明らかになっていない 。
: 聖人や巫王の持った杖だと考えられ、鹿が用いられる。
鹿は角が生え変わる=生命の再生=永遠の生命力。威風堂々とした牡鹿のその姿から、王の象徴とされたらしく、また国家の力の象徴が金属であった時代に、鹿=鉱物・製鉄の象徴となったらしい。金属がほかの素材に比して不動、不変からきたか?
杖を象徴とするのは世界的なもので、モーゼも杖を持ち、それは蛇になることから、蛇も脱皮して再生するとされ、永遠の生命の象徴だった。やがて、杖は樹木そのものとなって、救世主イエスのスタンダードとしてのクリスマス・ツリーへとつながってゆく。
日本その他でV字型の杖先へと簡略化。『日本書紀』に見える「二股」「木俣」の神は生命を生み出すものとなった。これは河川の二股(分かれ、水くまり、河合などともいう)を、女性の子供を生み出す場所=性器にみたて、そこで祭祀したことと関係が深い。『古事記』木の又神もこれである。
いずれにせよ、世界的に王や権力の象徴であるとされる。
旗がそういうものであることは今も同じで、国旗はその国のスタンダードなのである。そうなった理由を考えると、はためく布が最初で、そのさまが勇壮、勇気が出る、意気があがることから、生命力の生き生きとした生命力の象徴となったわけであろうし、そもそもシャーマンたちは鳥の姿を衣服に仮託していた。多くは鳥の翼状の布を袖からたれ下げ、それを振ること=羽振り(はぶり)行為によって祖霊・再生を促したと考えられる。
スキタイのシャーマン
大阪府清水風遺跡のシャーマンの羽振り
羽振り(はふり)から神職を祝(はふり→ほうり)と呼んだのは日本である。「はふり」→「ほうり」→葬る→はふる(と殺、殺す)。つまり祝・大祝には生命と死の両方の意味が共通して持たされており、死=再生の観念が世界的にあったと思われる。
袖を振ることで、音と風が生じ、この両方に神や祖霊が宿ると考えられた、それがやがて旗へと進化。伊勢の五十鈴川などの名前にも「鈴」=音=命の宿りが見える。神楽の神鈴を振る所作も、音によって心が霊魂憑依へいざなうものだったことも見える。
五郎山古墳の装飾に見える緑色の旗。緑=死と生。よみがえり。植物の葉の色。秋に落ちてまた春に再生する。
仏教では緑は死の色。それが旗を国旗や軍旗として、その集団の象徴としていった背景であろう。
そもそもは樹木を形象化した杖に始まる。これは川の三叉路なので、女の又であるとされ、生命を生み出すところであり、陸地では三叉路に庚申が置かれる。
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