ここからは、
Hineが糖尿病で入院中のKawakatuに代わって書く。
彼は闘病中でしばらく戻れまい。


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Kawakatuは邪馬台国専門の研究家ではない。
このブログはここ10数年書き続けたが、当初はまったく邪馬台国には触れないスタンスで始めた。
最初はKawakatuの目的は渡来人秦氏の研究に主目的があり、もうひとつが日本人のルーツ探索だった。

しかし実は、そのほとんどは結果的に 、むしろ邪馬台国比定地を決めるための、一見無関係に見える周辺から埋めてゆく作業になってしまったのだった。つまりその心の奥には、いつも邪馬台国問題はあり続けたらしい。隠そうとしても、どこかしらで気にかかっている、のどに引っかかった魚の骨だったのである。

この十数年で、このブログのカテゴリー「邪馬台国研究」の記事数は110になってしまっている。考古学から、文献から、テレビの見聞による天啓から、遺伝子から、日本人ルーツとの関連から、ありとあらゆる記事から、ふっと邪馬台国につながる部分があると、ぱっとその記事に書き添えてもいるので、研究記事の数はもっと多いことになるだろう。そしてたどりついた結果が最近書いた記事になる。


ここに邪馬台国研究書庫全文へのリンクを貼っておく。

邪馬台国研究 : 民族学伝承ひろいあげ辞典 (blog.jp)


古い記事ページが来るようになっている。
ライブドアブログなので見出し記事の一覧形式になっているが、「前のページ」をクリックすると新しい記事になる。11ページ、110記事がそれで読める。

ひとつの記事を開け、読み終えたら、一度元の見出しページに戻って次の記事をクリックする手中で全文読める。


全文を読んで欲しい。
そこにはKawakatuが15年前に研究を始めたころから、今に至るあいだに、いかに揺れ動いたかの軌跡が見えるだろう。最初は九州、やがて纒向、また吉備、再び九州・・・そういう流れで書いている。Kawakatuはそのつどの説に寄り添う形で書いて来た。説を作るとき、その時点の最新仮説に寄り添う。それが確かに最上の手順であるが、思いとはまったく逆の説で書いてみたりもする。それはわざとそうする。人が書くこととは反対のことを書くことで、邪馬台国研究シーンの現在の感触、肌触りを確認しているのだ。Kawakatuは書きながら変化する。変異する同時進行形の物書きなのだろう。


さて、すべてを読んでいただきたい。

そうすると彼が、年末に決めつけた九州から大和へ邪馬台国が動いたという結論に至った経緯と意図が理解できるはずだからだ。彼は、長年考え続けた。そしてあらゆる資料にも当たった。何度も何度も試行錯誤し、紆余曲折の末に現在の説にたどり着いたことがわかるだろうと思う。これは読者・Hineからのお願いである。


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