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 「さて、今年(2019年)3月に、カマン・カレホユック遺跡から世界最古の鉄製品が出土したという報道がありました。ご存知の方もおいでになるかもしれません。この鉄製品は第IV層から見つかりました。

これまで製鉄の起源は3500年前から3400年前、つまり、ヒッタイト帝国時代にあると考えられてきました。
ヒッタイト帝国は、製鉄技術を他国に広がらないよう秘密裡に死守し、鉄器を駆使しながら、3500年前から3200年前、古代中近東世界で一翼を担っていたとされています。
一時はナイル河流域に本拠地を置いていたエジプト王国と対等の立場になるほどの勢力を持っていたというのですから、相当の力を兼ね備えていたことになります。」

「製鉄の起源を探る」(視点・論点)
2019年07月29日 (月)
中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所長 大村 幸弘
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/372469.html


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画像はすべて検索から



すでにテレビ朝日でもドキュメンタリーとして放映があったから、観た人もいるだろう。
当ブログでは、カマン・カレホユック遺跡も含めたアナトリア高原にあったボアズキョイ遺跡群と製鉄と西部地中海沿岸にあったヒッタイト帝国の製鉄での関連について何度か書いて来た。これもお読みいただいた方もいるだろう。当時はまだ、帝国こそが最古の製鉄者というのが定説化しようとしていたのだ。

当ブログの「ヒッタイト」検索ページ
http://kodaisihakasekawakatu.blog.jp/search?q=%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88


しかしここにすでに筆者は、「最古の製鉄はアナトリアでいいのか?」という記事を筆者はあげていた。ヒッタイト帝国と決めてもいいのかという疑問が筆者にはすでにあったわけだ。だがそれはアッシリアという別の地域での可能性の示唆でしかない。しかし今回の発掘はやはりアナトリア地方の中だった。


●製鉄開始3500年前説が4500年前説に遡れた!
今回のカマン発掘の最古の鉄製品は、これまで言われてきたバルカン半島西部のヒッタイト帝国年代を1000年も遡った(今から4500年前)バルカン半島東部アナトリア地域の地層の小高い円形の遺跡から出た。ヒッタイトの版図であることこそ変わらないが、年代が圧倒的に古く、製鉄実在の証拠品となる鉄滓さえも出ているので、ヒッタイト帝国成立以前からここに製鉄があったことは確実となり、アッシリアこそ最古ではないかというこれまでの仮説をひっくり返すことになったと言えるだろう。そしてそれをやっていた民族も、帝国を作ったヒッタイト人よりも古い「原ヒッタイト人」だったらしいのだ。仮にヘテの英語名でㇵッティとしておくか?


もちろん今後のイラク北部~カスピ海沿岸地方(旧アッシリア帝国の版図)からの今後の発掘はまたねばなるまいが、現在のところ大村らが考えてきたアナトリア地方での製鉄は最古であると考え方は間違ってはいないことになる。


大村の発掘は、当初、現地作業者たちからは何度も「なぜ日本人がトルコを掘るのか」「日本人は宝さがしに来たのでは?」といった疑念の言葉で満ちていたと聞く(前記サイト記事)。

これまで大村が発掘してきたボアズキョイ北部のアラジャホユック遺跡ではいくら探しても鉄滓(スラグ)も見つからなかった。

日本の考古学研が探してきたのは、ヒッタイト帝国の首都だったハットゥーシャ遺跡ではないのは当然として、バルカン半島はるか東部のボアズキョイやや北部にあるアラジャホユック遺跡であり、ヒッタイト帝国の中心地ではなく、東部のほかの遺跡でもないやや南のカマン・カレホユック遺跡だった。ここに大村は大変驚いたようだ。考古学者の長年の見込みがずれていたのだ。


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カマンカレホユックで見つかった多くの鉄滓


「アナトリア考古学研究所・大村幸弘所長は、「鉄というのは3200年前から3300年前にあるというのが一般的だった。それよりも1000年古い層から鉄が見つかりだしてきて、それが人工のものだというので、これは今までの歴史とは違うなというのが出てきた。そういう意味ですごく価値がある。」と云う。

トルコ中部にある遺跡で一昨年(2017年)、日本の調査団が4200年前から4300年前の地層から世界で最も古い部類に入る人工の鉄の塊を発掘した。これまでの定説では、3200年前から3300年前にこの地域で栄えたヒッタイト帝国が鉄の製造を始めて、製造技術を独占し、周囲を征服したとされている。

しかし、今回、見つかった鉄の塊はそれよりも約1000年前のもので、成分もこの地域の鉄鉱石とは違うことが分析で明らかになった。

鉄の塊が見つかった地層では古代中近東の様式とは違う木造建築物の遺構も見つかっていて、調査団は、これまで考えられていたよりも前にヒッタイトとは違う民族が鉄の製造を伝えた可能性もあるとみて注目している。』と報道された。」


「4000年ほど前に、このアナトリアに突然現れたインド・ヨーロッパ系の最古とされる民族・ヒッタイトがハットゥシャシュ(ハットゥシャ)を王都として、鉄器を使用する一大帝国を築いた。

このヒッタイトが現れる前段階の、5000年前に先住民「ハッティ」がアナトリア半島中央部に居住していた。この民族はインド・ヨーロッパ系ではなく、周辺の言語とも違う独自の言語を話し、膠着語であった。メソポタミアのシュメール人との関連を調べる必要がある。シュメールもハッティと同じく4000年ほど前に滅亡した。

旧約聖書によると、4000年ほど前にアブラハムがシュメール(イラク)のウルからハラン(トルコ)に移り、更にカナン(イスラエル)に移動した。このアブラハムの移住は、私見ですがシュメールとハッティの滅亡と関係があると考えています。」
エキサイトブログ『古代史探訪サイト』「ヒッタイトより1,000年古い鉄の塊」より
https://enkieden.exblog.jp/27529025/


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かくして最古の製鉄がヒッタイト帝国から始まったと言う定説は覆ったのである。
地域ははるか東部の、年代はヒッタイト帝国よりも1000年も早かったのだ。

●アナトリア
アナトリアにはギリシャ語で「日の出る場所」という意味があるのだが、それは東にあるという意味でもあり、どこから見てかというとギリシャから見て東ということになる。つまりオリエントという漠然とした東地名は、まずはバルカン半島以東を最初意味していたわけだ。同じ聖書にアブラハムの出エジプト記には、妻が亡くなったときにヘテ人が地主として登場するが、ヘテとはヒッタイトのことである。しかしヒッタイト帝国成立以前から、ここにはすでにㇵッティ(ヘテ)という民族が1000年前から住んでいたわけで、彼らがヒッタイトの基層民族であることは間違いなかろう。


●ㇵッティ=ヘテ=ヒッタイト
ㇵッティは英語発音であり、ギリシア語ではヘテ=ヒッタイトを指す民族であるが、上記サイト管理者によれば、シュメール由来を想定できるヘテとは異なる言語の人々ととらえたようだ。それはどうかは知らないが、少なくともヒッタイト民族の根幹をなす人たちで、ヒッタイト帝国の1000年も前にすでに製鉄技術を持っていた人々と考えられる。

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アッシリアの成立が紀元前2500年。アッシリア人はシリア国名の元ともなろう民族だが、その迫害の歴史はさておき、それ以前は紀元前7000年前のクルド人までさかのぼれる混血民族。今のトルコ人、シリア人など多数のカスピ海近隣諸国の元になる人々であったのだが、帝国の滅亡とともに各地に散らばって、製鉄も広げたらしきところがある。しかし滅亡後製鉄を広めたのはヒッタイト人も同じであり、ヒッタイトの起源もアッシリアより古かったと見てもよい可能性があるようだ。製鉄製品の出土から見て、ヘテ人がやはり製鉄の起源だったとなるのかも知れない。アブラハム(エイブラハム)が妻サラの墓所にしたのは、そういう鉄採掘の穴のひとつだったのかも知れない。