コロナ禍が完全に終息するのに、自分は15年と見ている。
理由?
まず完璧な特効薬とワクチンが完成するのに5年、それが世界の人たちにまんべんなく、貧しい人にまで接種されるのに10年以上はかかるだろうから。

高価なワクチンや薬は、貧者にはなかなか接種もむつかしかろう。それはどんな薬品も同じことだ。
医療は高い。高すぎる。薬もワクチンも高い。だからインフルエンザがそうであるように、ウイルス病というものは、全人類の完全な回復に至れないのだ。
これはしかたがないことだろう。

絶望的だと思ってはいけない。それでも以前は世界中が自由に往来できていた。
問題は人間の許容量なのだ。どこまでが危険で、どこからが安全と言える状態かである。決めるのは世論だ。時間がかかる。そもそもコロナに対して、人類は畏れすぎている。最初から大問題にしてしまって後戻りできないほどエスカレートしてしまった。それは人間が畏れすぎたからだ。


いずれにしたって、ウイルスは死滅できない存在なのに、怖がってしまい、マスコミも医者も「未知」という理由だけで、異常に怖がってしまった。ここに気づくために何年もかかるだろう。


そんなに危険で、パニックすることなのかどうか冷静に、第三者になって俯瞰してみると言い。まるで狂騒曲だ。

15年経ったら自分は80歳だ。思い残すことのない年齢になる。もはや恨み言など言える権利もない。なんと運がいいことか。
災害はほかにも山ほどやってくる時代だ。半生以上を愉快に生きられただけでラッキーだと思いたい。
満足している。楽しかった。最高に面白く波乱万丈だった。スリリングに生きた。もう充分である。
贅沢などもう言わないし、文句もない。そう思えば残りの人生が明るくなる。そう思いたまえ君たちも。人様に自分の不服をぶつけるのは無意味だ。すべては歴史のせいなのだ。誰かのせいじゃない。それが人類の運命なのだ。動物としての天命である。宿命だと思うことだ。

日本人は戦時中、ジェット戦闘機や伊ー400潜水艦や戦艦大和・武蔵、ゼロ式戦闘機、紫電改のような世界が驚く大発明をやってのけた。敗戦直前にこそ、火事場のどたんばだったからこそ、そんな着想ができた。コロナなんぞは、まだまだそんな事態と比べれば可愛い災難だろう?

人類の知恵などその程度なんだと思うな。実に面白く眺めているひとりものである。なにしろひとりほど安全なことはない。家族まで疑う人々を見ていると、つくづく、家族を捨てて地方に移住しておいて正解だったと思える。年金だってぎりぎりだがもらうことができたし、現役時代は平和と安全を謳歌できた。自分はまだ幸せである。今後の残りの人生がどんあにつらいものになろうと、少なくとも自分は幸福な人生を送れたと思うように生きたい。孤独は自由で、安全なのだ。

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