濃尾地震と言ってももう誰も覚えてないだろう。
筆者だって本を読まなきゃ知らない出来事だ。


「 明治24年(1891)10月28日午前6時37分、岐阜県美濃地方、愛知県尾張地方を突然猛烈な地震がおそった。最初は上下、水平方向への動きとともに、北、南へ揺れていたが、いきなり大きな烈震となり、岐阜地方気象台の地震計の針は振り切れてしまった。31日までの4日間に、烈震4回、強震40回、弱震660回、微震1回、鳴動15回、合計720回を数えた。その後も余震は絶えなかった。

震源地は本巣郡根尾谷(現本巣市根尾)。地震のエネルギーはマグニチュード8.0、世界でも最大級の内陸直下型地震であった。あの記憶に生々しい阪神・淡路大震災(1995年1月17日)がマグニチュード7.2、関東大震災(1923)が同じく7.9であったことを思うと、いかに大規模な地震であったかが分かる。

 地震の及んだ範囲は西は九州全土に、東は東北地方にまで達した。中でも激震地域は岐阜県の美濃地方を中心に、愛知県尾張地方、滋賀県東部、福井県南部に及んだ。

 死者は全国で7,273人、全壊・焼失家屋142,000戸という大きな被害をこうむった。これが濃尾大地震である。

 明治24年といえば、わが国が富国強兵を旗印に、西欧風の近代化を急ぎ、軌道に乗り始めた時期でもあった。そのため、人命、家屋以外にも、交通、産業、教育などの面でも大きな被害を受けた地震であった。

 しかし一方では、この地震によって、地震研究、震災対策が大きく発展する契機にもなった。また、各地にできた新聞社は競って震災情報を伝え、全国民の目を震災地に向けた。そして被害の大きさを知った国民は、医療ボランティアとして駆けつけたり、援助物資を寄せるなど、災害への連帯の輪が大きく広がった地震でもあった。」
https://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/bosai/shizen-saigai/11115/siryou/noubi.html


12


今年でもう140年だ。あと10年で150年になる。
この地震がなければ地震研究が始まっていなかった。

M8以上だったと言われている。
大地震には100年周期説や60年周期説や、諸説あるが、周期説そのものに信ぴょう性があるのかどうか知らない。おおまかな周期はあろうとは思うが、今村が考えたような定期的循環が地震にあるかどうかは不明だ。

地球が鳴動する、その期間に、歴とした間隔があるのかどうかは、はなはだ疑問もあるという。
世界の地震のほぼ1割は日本列島で起こる。これはすごい確率なのだ。

考えてほしい、地震の10%が日本で起きて来たのである。
岐阜県、長野県での地震は最近増えてきているのは間違いない。

地震は、起こった場所の深さが大きく影響すると言う。そしてまず縦揺れがきたあと、横揺れが来ると言う。計算式で、揺れ始めから何秒間の間の時間などでその規模がどうなるかはある程度想定できるそうだ。何秒間縦揺れして、何分間横揺れするかで地震の深度がわかるそうで、深くて長いほど、Mは大きいことになるらしい。

南海トラフと相模トラフが連動した地震がかつていくつかあるが、そういうケースでは必ず大震災になっている。

揺れる場所はある程度決まっている。そこにはいつか必ず大震災が起こる。そしてなぜかは知らないが、必ずそういうところには原発がある。そしてそして原発があるところは決まって漁師町である。

そういうことは絶対覚えておくほうがいい。

そして漁師町で漁師になった古代人が、なぜそこを選んで、なぜ漁師になるのかを、歴史的にとらえておくべきだ。なぜ彼らがかつて差別され、なぜ差別しながら国家が彼らを保護してきたか。その矛盾に気が付けねば、地震と言う災厄の地域的因果関係は、生涯あなたにはわからないことだろう。

人は矛盾している生き物だ。どうしてそれをよしとしたか、せざるを得ないかを考えてみない人には、歴史など絶対理解できないだろう。
少なくとも、自分はそう思う。そこには不可触の危険があり、マスコミは触れたがらない。

だが、触れなければ見えないのが歴史でもある。

私はあなたに触れろとは言っていない。理解せよと願うだけだ。

異界や神秘を知るには、人をまず知るに限る。人の歴史を。


あなたにそれができるとは思えない。
うしろ戸に入れば、命の保証はない。
私は知らない。責任もない。