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きつねうどんには揚げが乗っている。
ところが関東では四角で、関西以西では三角だ。
これはなぜ?

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油揚げ自体は尾張名古屋で発祥したそうだ。
まずは江戸の寿司屋がこれを甘辛く炊いたもので作ったものに酢飯を詰めて売り歩く「稲荷寿司」の原型が生まれたことと大いに関係するようだ。

江戸の寿司屋が、関東好みの甘辛い稲荷を考え付いたが、江戸の豆腐は小さいので、油揚げも小さめ。
切ると存在感はなくなるのでそのまま真四角で使い始めるが、どうも稲荷寿司には大きい。そこで真横に切って裏返してみたらけばけばがあって狐の背中に似ていた。そこで寿司の名前が、色や形状がきつねに似ているとして稲荷になる。

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それが名古屋を経て関ヶ原から伊吹山を越えると、関西は安倍晴明のアベノや、その母親だった信田狐 の話の本場で形も三角に。狐の耳に見立てて、中には具のあるバラ寿司を詰めた。それが東西の稲荷寿司の形の違い。



やがてうどんの本場だった大阪では、うどんに乗せるトッピングに最初、きざみ揚げをダシに入れた「きつね・けつね」が考案され、やがて東から来た稲荷寿司の皮・・・つまり油揚げを炊いた稲荷を乗せた新案「きつね・けつね」が考案される。「きつねうどん」とは言わないのは愛称だったから。

三角なので稲荷寿司形状との矛盾もなく、やはり耳の形で民衆は覚えやすかったので、大ヒット。しかし滋賀から京都の油揚げは、薄くて長方形だったために、そのまま長い稲荷を使う店が多かったらしい。今でも京都では「京揚げ」を使うきつねうどんは多い。薄いからボリュームを出すには長いままが見場もよかったのでは?

これらが九州に伝わると、関西の三角形が地理的に近いため取り入れられたものの、あっちの豆腐は大きく切っていたために油揚げも大きすぎたから半分に。しかしこうすると実は切れ目は三角の肩のところに来てしまい稲荷寿司には不向き。だから各地も稲荷寿司は「稲荷揚げ」という四角なものを使い、うどんには三角の揚げを使った。それで西日本では今でも両方の油揚げを売る店が多い。


香川県だけはきつねが四角。稲荷寿司の揚げをそのまま使ったか?

あくまでも想像。あちこち検索してみたが、意見はさまざまで、決定的資料はなかった。名古屋で稲荷が始まったという説もある。なにしろ関ヶ原の西の山地から西東で変わるという説が多かった。ということは揚げを切るやり方・・・豆腐屋のセンスの違いとなるか?名古屋で四角い油揚げが作られて、東西に伝播したときに、東西の違いが出たらしい。

ということはまず豆腐のサイズが各地でばらばらだったという事情が考えられる。
ならばまずは豆腐の歴史から探ったほうがよさそうだ。

まあ、こういう民間ではじまる事柄には諸説あって当たり前であろう。目くじら立てて論じることではないともいえるだろうが・・・。餅の丸と四角ほど古くもないし、はっきりしてはいないのが商売の世界だ。ただ、斎藤道三に代表される「油売り」が多かった尾張・岐阜からあぶらげが始まると言うのはなんとなく信ぴょう性はある。「とうとうたらり、とうたらり・・・」
意外に秦氏の稲荷信仰がからんできたりして?


では次回は日本の豆腐の歴史を調査したい。


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