昨日の「みやね屋」で、ノーベル賞の吉野先生と宮根が、美々卯でけつねを食べていた。
宮根が酒をプレゼントしてのみ始めると、先生呑むこと呑むこと。
肴もなしで、吟醸をくいくいやる。

話が面白い。
学生時代は考古学研究のクラブにいて、そこで奥さんと出会って結婚したという。
科学者で技術屋だとばかり思っていたら、考古学が好きだったとは!

考古学ほど地道な作業はない。あれは究極のブルーカラーだ。
先生は、考古学の穴掘り作業から人生観と研究の方向を見つけたそうだ。

発掘は、目星をつけた場所を四角く切って、すみっこから順に掘り返してゆく。
順々に四角のスペースを「ここはダメ」で埋めてゆく。
掘っているのに、ひとつひとつ場所を埋めていると言える。
そしてどこかで遺物に当たればいい。
それの繰り返しが発掘だ。

研究も同じだと先生は言った。
仮説をひとつひとつ埋めていく。
あれはダメ、これもダメを繰り返すと、次第にやるべきことが見えてくる。発掘と同じなんだと。

それを聞きながら、自分のブログ手法が正反対だと気が付いた。
ぼくの考古学・古代史の研究は、ばらばらの点を記事にして、ランダムに書き並べているだけ。
するとあるとき点が線で結ばれることがある。
つまりぼくなんかは、点と線の思いつきを、書き立てていくわけで、記事と記事のあいだの一貫性は特にない。シリーズで書いていても、あいだに無関係な発見記事が割り込む。
思いつき人生。B型そのものである。

積み上げることや、地道に穴を掘り続けることが、B型はだいたい苦手な人が多い。ぼくもそれだ。

だからぼくは学者タイプとは言えない。吉野先生のような地道な積み上げができないからだ。
もちろん重労働を伴う技術者としても失格である。


ぼくにはつまみ食いしてきた点々の発見を、天啓でつなぐ手法があっている。

お金にはならないが、趣味としては終点がないので、まだまだ書けると思っている。
しかし先生みたいな人間に生まれたかったといつも思っている。理系と文系の違いだとは思わない。努力の積み重ねができない人なのだ、自分は。そのかわり、天啓・ひらめき・着想はきっと先生にも負けないだろう。ま、それは絶対ノーベル賞は取れない生き方ですがね。小保方さんを思い出しちゃった。


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