相模国は筆者Kawakatuのご先祖さま、寒田氏の本貫地である。
神奈川県泰野(はだの)市はかつての大友郷波多野(はだの)で、今は秦の字をあてているが、秦氏よりも海人族波多野氏の領地。そして鎌倉時代の豊後守護職・大友氏の母方の地だ。先祖は大友家が豊後下向のおりに臣下となってつきしたがった寒田氏である。読み方は大分では「そうだ」だが、泰野では「さむた」。さむた→さうた→そうだ である。豊後では大友七代で家老職の加判衆として宇佐神宮の神領と武器の管理、田染の荘の管理などを歴任した兵部少弐・寒田親景(ちかかげ)の記録が最古。その子が親将(ちかかど)で、当家・春日神社大宮司藤原の寒田鑑秀(かねひで)の兄に当たると思われる。当家の墓にその名がある。藤原と書かれている。大友氏が藤原秀郷(たわらのとうたひでさと)子孫を名乗ったゆえである。
相模国西部は、小田原から近い足柄上郡松田爽惣領があり坂田金時で有名な足柄山にもほど近く、東に豊後大友氏の母方・波多野氏が造ったという秦野市を控える。

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神奈川県足柄上郡寒田神社 左牟田大明神
大友郷の旧名もあって、ここが彼等の出身地であることがわかった。
豊後一の宮、西寒多神社が「寒田そうだ」と読むのに対して、ここは「さむた」という。
もっとも現在は「かんだじんじゃ」が通称。その方が読みやすいと言うことだろう。

全体が鬱蒼とした栢の森であったのが、後ろに東名高速ができて相当数の大樹が伐られてしまった。この栢の木を使って神社では様々なグッズを作り残った森の保護に努めておられる。
そのグッズのなかにはお札やお守りもあるが、貴重なのは古い木椀であるらしい。

延喜式神名帳には相模国13社内小12座の一番とあり、かつては相模田神社とも言われていた。今、正式には元和六年から寒田神社神田大明神となっている。

小田原が北条氏で有名なので、ここは忘れられがちであるが、波多野氏は源実朝との縁が深い。大友氏とここは直接の関係を示す記事は無いが、母方の波田野氏出身の大友初代能直は大友郷に入って大友氏を名乗っている。父方は古庄氏である。

ただ系図では藤原秀郷流近藤家の出身。

波多野氏は佐伯氏直系であるらしく、その後佐伯経資の子孫・経範が秀郷子孫だった代官家と縁組みしてこの伝承となったらしい。豊後・大分県にも南部に漁師町だった佐伯市があって波多野さんは大変多い。おそらくここが本貫だろう。のちの豊後佐伯氏は宇佐大神(おおが)氏出身で地名名乗りだ。

寒田神社例祭は7月31日。御輿の渡御と大名行列がある。
祭神は倭建命と弟橘媛など。
氏子の中には諸星という姓も多く、つい諸星大二郎を思い出した。
実際には大友氏の名は相模の歴史書には出てこないようである。
頼朝の寵童とも言われる大友能直が現れるのは豊後守護職・中原家に養子縁組してからである。
今のところ、不明とした方がよいのだろう。
もちろん私事ではあるが当家とのつながりは明治時代直前に四国佐々木氏だった祖先が嫁を連れて入籍したので暫時、不明ということにしておこう。いずれどこかでまた新しい事実に突き当たることになるのかも知れまい。
宮司さんには大変お世話になった。遠くから行った甲斐がありました。感謝します。

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神奈川県秦野市の神社と歴史
出雲大社相模分祠
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御嶽神社

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出雲大社敷地内にありこれが
古い。背後に大山がある。
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鳥居が落ちている。
よく見ると船の形に似ている。
神明鳥居のルーツは船だ。

井の宮神社名水
丹沢のわき水である


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関東三大稲荷・白笹稲荷
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曾屋神社
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実朝公御首塚
東田原遺跡
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東田原神社
俵藤太・藤原秀郷
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須賀神社
スサノウを祭る
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桜土手公園遺跡資料館と桜土手古墳群
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秦野市が秦の字を使うようになったのは最近である。
本来、波田野氏から来た地名なのであるからなぜこの字をあてたのかよくわからない。
ただ古墳はかなりあって、ここもそのひとつ。
古代から土地が痩せていて、今でも蕎麦、落花生、トウモロコシが特産。ところが矢名川が下って金目川と変わる辺りから丹沢の伏流水がわき出て稲作地帯となる。
極めて不条理な土地である。
こんなところにわざわざ住むにはなんらかの理由があったろう。波多野氏以前はやはり秦氏関係の海人がいたのかも知れない。
もうひとつ特筆すべきことは、ここが和種タバコの名産地だったことだ。ここは現JTの前身・専売公社が最初にできた町なのである。TAXYさん今回もありがとう!
官制植物のタバコ栽培はここで始まり、全国へ普及した。このサイトをよく知る方ならその意味もおわかりになることだろう。


平塚市・平塚八幡
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相模六社
平塚市はベルマーレで有名。相模六所は寒川神社を本社として
前島、比々多、川匂、六所、そしてここ平塚八幡を言う。
相模一の宮・寒川神社

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日本武尊を祭る神奈川随一の神社。
東国の開発は九州・大和から300年遅れる。
ここの記事も初めて書かれるのは雄略天皇の代からで、1500年前である。
ただし古墳群は多い。

ここの近くには大神塚古墳が、二の宮・川匂かわわ神社近くにも、また三宮古墳、真土大塚山古墳、八幡宮境内古墳など六所のそばには必ず古墳群がある。
門前の狛犬には役小角のように角がある。

ヤマトタケルの東征は鉄の道の探訪でもあるから、修験道の祖である鴨氏の祖
役行者と同じく鬼を連れているのだろう。

西日本には角のある狛犬はあまりない。東国から先へ行くと角があるようだが、
何か訳でもあるのだろうか?

景行天皇とヤマトタケルは崇神王朝の最後を飾るヒーローである。
しかし、九州には景行を祭る神社は多くても、ヤマトタケルを祭る神社は少ない。
大阪府鳳の白鳥古墳のある、大鳥神社くらいしか著名な神社はない。
崇神も景行も仲哀も、彼の一族は皆、九州に縁が深いのに、クマソを倒したこの
神だけは東国に祭られる。のけ者扱いなのである。
つまり彼は架空の人物なのである。



元記事 http://www.oct-net.ne.jp/hatahata/sagami.html
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