「麻生太郎財務相は4日の参院財政金融委員会で、日本の新型コロナウイルスによる死者が欧米諸国と比べ少ないことについて「おまえらだけ薬を持っているのかと(海外から)電話がかかってきた。国民の民度のレベルが違うと言うとみんな黙る」と述べた。」
はて、あなたは「民度」とはご存じだろうか?
民度=正確な基準があるわけではないが、 「特定の地域・国に住む人々の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指す」・・・Wiki民度
ある民族、ある地域の人民の生活程度。
要するに日本人の生活における「生き方」「死生観」「潔癖」などの水準が「おまえら」?よりも高いから感染者死者数が少ないと麻生は言ったわけだ。
確かに古代から日本人は「禊ぎ」観念が強く、それは仏教ではなく神道的な観念だろうが、現代でも必ず毎日ふろに入ったり、滝に打たれたりが好きな民族のようだ。日本人が平民まで風呂にはいれるようになったのは、しかし江戸期からである。それ以前は沐浴、その前は海や川でみそぎしていた。汚れを「穢れ」と考える民族だ。
一方、西欧人その他の民族では、風呂ではなくシャワー中心で、それも毎日は使わない。
では、それが清潔で潔癖であって、だから感染しないとは言いにくかろう。ある学者によれば、毎日ふろに入り、毎日垢を落とすと、体表のバリアが薄くなり、感染しやすくなると言って、高齢者や高血圧症状の人間には勧めないという説もある。
日本人の民度なるものが実際に高いのなら、なぜ勝てもしない戦争をしたのかと突っ込まれそうだが、問題はそういう意識にありそうだ。日本人だけは民度が高く、けだかい民族だ=至上主義=全体主義=戦争・・・また同時に、外国人差別もそのへんに芽がありそうだ。
戦後、火事などが起こると「朝鮮人が火をつけた」というような、無意識の差別主義が発生したことがある。一時期、警察は、ベトナムやタイなどのインドシナ系外国人に、非常に厳しい職質をしていた。白人にはしないのに、有色人種には厳しく当たった。
これは果たして民度の高さからだろうか?
民度が高いのだと言う「驕り」が全体主義を生まなかったか?今でも、感染者を差別し、全体で巣ごもりし、それからはずれた者を差別し、警戒し、八部にし、あまつさえ、張り紙で警告・・・それって民度が低いのではないか?
どの世界にも意識が高いもの、低いもの、高すぎるもの、低過ぎるものはいるものだ。感染での死者が少ない理由は
1 東アジアにきたウイルスは西欧よりもきつくないS型だ。
2 日本は海に囲まれていてガードしやすかった。
3 国や行政からの要望を、実に単純に護って、文句を言わない、言わせない民族意識つまりファシズム大好きな国民性と、ひきこもりや閉鎖が大好きな性格。排他性。
4 検査が少なすぎて、ウイルスで死んだかどうかわからない死者もいたはず。つまり数値に信頼性がない。
などがあるだろうと思う。世界的にはかなりおたくで異常な国である。
ただし、あまりに完璧に国民全体がひきこもったがために、ウイルス抗体、免疫はほとんどの国民は持てずにいることになる。すると二次感染でもまた同じ引きこもりをするはめになり、結果的に麻生の専門である経済の復興は、世界で一番遅れるかもしれない。よしあしだ。
検査を増やせば感染者は増える。当然である。しかしそうなるとまた医療が崩壊。
例えばプロ野球巨人軍で感染者が出た。西武との第二戦で判明したが、なぜプロ野球は再開する前に選手全員の検査をせずに臨んだか?金銭的理由だろう?そこには感染に対する完璧を期す心構えがない。なのに日本人、マスコミは巨人軍を責めない。なぜだ?
なぜ一般人や医療関係者なら差別が起こり、スポーツだと起きない?矛盾している。
以前も書いた通り、あらゆるイベントは、やりたければ完璧な事前検査をするしかないのに、しなかった。これはプロ野球機構の犯罪と言える重大な違反行為ではないのか?
矛盾だらけの事象が起こるのは、この新型コロナウイルスのことを知らないからだ。しかし今はある程度の傾向はわかっているはず。にも拘わらず巨人軍もプロ野球機構も、事前検査をしなかった。そして翌日には二人の選手は疑似陽性で、もう陰性になったという、ちょっとありえない回答を出してきた。そんな馬鹿なじゃないのか?スポーツなら許されるのか?一般感染者がどれほどの長期的差別を受けているか考えてみたまえ。甘やかすな。
東京オリンピックはできるできないではない。しないのが常識である。その阿曽が言う民度が低い世界の民たちのためにだ。そんなものはいつでもできいるだろう?人を殺してまでやらなければならないイベントなどない。そこには経済重視しかないことが明白ではないか?
地球に言わせれば、人類の殲滅のためのウイルスであり、すべての結果は必ずそうなるように仕組まれてしまったのだ。長いスパンで、われわれは衰亡してゆく運命にある。地球にわれわれは邪魔である。水虫、たむしなのだ。淘汰され、生き残ったものだけが進化し、地球生活を許される。それが自然界の摂理なのだ。弱者は消える。それで人類はもっと強くなる。死者は礎なのだ。それが歴史の掟である。
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