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長崎県壱岐の島を旅した遺跡紀行の再編集。
HPの更新はしなくなっていて、そろそろ削除したいから、記事をここへ移しておこうと考えている。そのままコピペじゃつまらないから、かなり加筆し、画像も増やして。

その第一回が「日本人原点の島壱岐・月読と海人」。


壱岐の島は対馬とセットで旅するのが普通だろうが、筆者は壱岐だけに興味があった。なぜならここに月読神社、カラカミ遺跡、原の辻遺跡と古墳群があること、さらに勝本浦漁港には海士がいること、海士・海女・漁労漁師の棲み分けがあることなどがあった。

九州にきた北海道のネット友が、対馬から韓国へ行くのを見送りがてら、壱岐まで足を延ばしたわけだった。

壱岐へは博多港からフェリーで簡単に渡れる。玄界灘の荒い波を乗り越える。
大分からでもかつてはビートルが出ていたが、諸事情で今は動いていない。

朝鮮半島済州島の海女も来ているし、往古はいさな取りの外洋漁師もいた。いさなとり、つまり捕鯨は壱岐から紀州へノウハウが移動し、今や壱岐のほうが南紀から技術者を呼んで復活させようとしているという。その技術の伝播の歴史は不明だが、太古から壱岐氏・紀氏たちの海人族が、半島→壱岐対馬→九州→肥前有明海→薩摩・日向→豊後国東半島→紀州へと動いたことは、石だな式の古墳様式や、人名の分布、佐賀県に残る神社伝承、伊勢海女が済州島海女が移住するなどから、充分想像できると考えている。

まずは壱岐勝本の象徴であろう海中の六地蔵から。

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どういう経緯で海の中に六地蔵かは知らぬ。空想するなら、海士にとっても漁師にとっても、また船曵とにとっても、海は地獄の一丁目でもあり、ニライカナイ=常世の入り口だったからだろうか?



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壱岐の遺跡・古墳群







月読神社
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つくよみ・じんじゃは記紀の言う三貴神のひとつだが、それを壱岐で祀るようになるのは、当然、壱岐氏や紀氏の中央進出と藤原氏との政治的結びつきの産物である。というよりも、彼らこそが多くの海人ならではの情報や伝説を藤原氏に語ったことから記紀神話のほとんどは生まれると言ったほうがよかろう。

スサノオは実は紀氏の祖人なのであり、葛城氏族すべての祖である。紀州におけるスサノオ・五十猛祭祀こそは、出雲よりも先に紀州紀ノ氏たちが持っていた伝承で、記紀はそれを出雲国譲り前記神話に利用したと考えられる。月読も、これは壱岐氏が持っていた信仰が最古で、それが記紀に。この神は記紀神話では名前だけ書かれ、その後まったく登場しない影の存在である。それは国政の裏側、後ろ戸の人を意味することである。多くの海人族や、それが連れてきた渡来人も、やはりそうだった。月読は記紀観念の伝播のためにここに祀った神であり、本来の原型は男嶽・女嶽神社の海士・海女神だったのではなかろうか?男嶽神社祭神は猿田彦になっているが、往古は在地神がおわしたはず。猿田彦はナビゲーターであり、海では、イコール海人である。

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男嶽神社


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古墳・遺跡

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鬼の窟古墳入り口
原の辻、カラカミ遺跡は弥生遺跡としてあまりに有名だろう。
古墳群も多い。はやくから半島、九州、近畿から影響を受けていた証拠である。



続く


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日本人原点の島壱岐・月読と海人