筆者はアトムで育った世代だ。
鉄腕アトム。手塚治虫の。
それが最初にテレビで観たアニメである。

続いて鉄人28号、そしてエイトマン。

考えてみたら、「アトム=原子」であり、アトミックボム=原爆だった時代に、広島や長崎の人たちは、この動く漫画に何を感じたのだろうか?

アトムの兄はコバルトで、妹はウラン・・・なのだった。
そう考えたらなかなかこれは反戦思想強烈な時代に、思い切ったネーミングなのだ。

山下達郎が「アトムの子」という歌を作っている。そういう意味だ。漫画アトムで育った世代だという意味である。

今、アトムというと次の世代はきっと原爆よりも原発を思いつくだろうと思う。

前者は武器で、後者はあの当時、クリーンエネルギーともてはやされた。今は、少なくとも日本では、原発といえば、処理不能の恐怖の道具だろう。恐ろしい大人のおもちゃだと。

そのように評価は時代によって変わってゆくものだ。人類の作り出したものへの評価は、どこかで必ず切り替わる。それはつまり不完全だからだ。

おしなべて、人類が作るモノに完璧はない。
ひきかえ、大自然はほぼ完ぺきなのが不思議なのだ。
無駄がなく、循環し、すべてに美と知性を感じさせられてしまう。なぜか?

もう少し、ぼくらはそれについて深く考え直すべき時代に来ているんじゃないか?

今日、やや蒸し暑い外気の庭をながめながら、ふと、また、そう考えるのだ。

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