花巻市大迫町から出土、6月1日から総合文化財センターで展示。
https://www.iwanichi.co.jp/2020/05/26/2179092/


同町アバクチ洞穴から出たので愛称アバちゃんですと。かわいいね。

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 東北の太平洋側で弥生人骨というのは大変珍しい発掘だ。
住居あるいは墓地としての風穴洞窟の入り口で見つかったというのは、縄文的な埋葬手法に見える。
縄文遺跡では、住居入り口に夭折幼児を埋める風習が散見されるからだ。まよけ的に埋められた。
だから弥生時代だけれど、岩手ではまだ縄文的風習が残存していたんじゃないだろうか。

周囲には珍品だったはずの貝製品が埋められており、特別な扱い。
年齢は3~4歳だそうな。

病死か?
そういう幼児をまよけてきに置くことは、モンゴルの墓標ポールなど騎馬民族でも見られる。住居地の入り口にわざと石柱を建てて、その真下に埋めてある。ただ、草原のネズミのたぐいに骨まで食われることも多く、なかなか遺骸は残っていないそうだ。しかし間違いなく夭折幼児が特別視されて、神聖なまよけ的に埋められたことは北アジアでは間違いない。

屈葬であるのは、再生願望である。生まれたときの形状にするのは弥生の特徴でもある。縄文なら膝を立てて埋めるスキタイ風習が多い。大湯ストーンサークル日時計の真下にも、やはり幼児が埋まっていた。


つまりここには、スキタイ=北方民族の風習と、弥生人の風習が同時にあって、弥生人が西から来ていたのかも知れない。


弥生人の北上は稲作と遠賀川式土器がセットになることが多い。それは日本海側東北ではよくあるが、太平洋側まで回っているとは今回はじめてわかった。



ついでだが、稲作は最初日本海側を東北・南北海道へ伝播。遠賀川式土器も同じである。次に瀬戸内から吉備、摂津、大和へ向かい、最後に太平洋側から関東に伝わったと考えられる。関東が遅いのは、関東台地の土が水田に不向き、また山が遠くて水口の発見が遅かった、そして畑作でも十分食べられた、などの理由を考古学者はあげている。


近畿地方もやや遅れたものの、大阪湾岸に縄文遺跡と住み分けるように水田遺跡が点在するので、邪馬台国以前にすでに九州弥生人が近畿に入り、3世紀にはすでに地元民化していたと想像できる。だから3世紀の纒向遺跡から九州土器が出ないのはむしろ当たり前なのである。彼らは吉備を経由して大阪湾~大和へ入るので、遠賀川式は吉備式土器を取り込んで改良したと考えるのが当たり前。当然纒向からは古い北部九州式土器は出ないわけだ。こういうことに気が付かない考古学者はダメ。


岩手県か・・・コロナがいまだに0地帯だね。
世界でコロナ感染報告がないのは独裁国家だけなんだが、岩手県の場合はた民俗学的に、縄文観念が弥生観念を凌駕し続けた、だから遠野のような古い価値観が根付き、宮沢賢治が生まれる?そういう根付き文化と、理不尽や困難に強いじょっぱり性質、田村麻呂的な弥生文化政治に簡単になつかない、根深い根性というものが感じられ、現代においても、東北大震災当時からの差別も経験して、なおかたくなに真実をひたかくす共同体意識が頑迷に存在する特殊な地域だと言っていると感じる。



まさか村八分風習がまだあるとは思いたくないが・・・。
異界かな?

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