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前の記事にある「鹿の島の神」とは福岡県の志賀島神社のことになるが、それを筑後に勘定して高良大社がある。ここは武内宿禰を祭ってある。これすなわち中臣氏の祭るところ。なぜそうするかと言えば、『日本書紀』に藤原氏は筑紫国造磐井が継体大王によって滅ぼされたと「うそを書いた」から、その祟りを抑えてしまおうと、安曇族に銘じて鹿島神として祭ったのかと思える。


その志賀島神社の志賀の神というのが、鹿島神宮の神である。わかりますか?

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志賀島の神とは海神=わたつみ三神である。つまりそれは住吉の神と同じだ。住吉の神は竹内宿禰でもある。

鹿島神は藤原氏・中臣氏の祖神である武御雷。タケミカヅチはうがやふきあえずの子、天児屋根の子孫だ。出雲国譲りの神である。中世には地震の神。それが実は志賀島神・・・武内宿禰。武内宿禰は住吉神で細男(さいのう)舞や宇佐神宮では黒男神(くろおじん)で海人族。つまり中臣氏とは安曇なのだ。

細男舞のくぐつで、住吉神は色が黒い小男だ。それが相撲で最終勝者になる。それが藤原氏である。
藤原不比等は、武内宿禰つまり葛城王家の子孫であると言いたい。それでは蘇我氏と同じではないか?


つまりこうなる。
武内宿禰=内の臣=宰相の祖。
これは武家為政者が五三の桐を印としたのと同じ宰相家になったというステータスなのである。
では蘇我馬子が葛城を祖としたのも同じことだ。

実際の中臣氏は安曇だったし、蘇我氏は渡来人だ。

謎は解けたと思うが?


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