聖徳太子がイメージでしかないのなら、子孫などいるはずがない。とか、あなた、考えることありますか?

『日本書紀』記述が、藤原氏摂政の正当化のために書かれているとするならば、当然蘇我氏を最悪に描き、蝦夷も入鹿も、最低に描いて当然。

そもそも、一巳の変などあったのか?
壬申の乱などあったのか?
入鹿の上宮・山背大兄の殺傷などもあったのか?

『日本書紀』が書いていることのどこまでが真実か?という着想は当然あってよかった。
しかし文献学者は、『日本書紀』記録は正しく、歴史の歪曲などあるはずもないと考えてきた。

それを証明するかのように、第三者的であるべき考古学さえも、文献学者の権威に屈折し、屈服した論理を書かざるを得なかった。

まるで現在の新型コロナ対策だ。政治家と医師団の忖度しあう対策・・・つごもりと検査の少数化・・・ではないか?

あるいは検察問題も似ている。権力者は、民主主義の三権分立の矛盾で独立しすぎている検察を監視したいが、法務省がそこへ立ち入れば憲法違反ゆえ、遠くから見ていいるだけだった時代が久しく、ではいったい誰が検察を「検察するのか」に何もノウハウがないままである。橋下がさっき熱く語ったことは正論だが、本来は検察を政治=行政は干渉できない。ならば民主主義の正論でいけば、国民が検察を監視できるのが当然である。

『日本書紀』が全部正しいのなら、人類はうそをつかない生物だということになるのだが、残念ながら人類はうそが大得意な生物である。記録が、文献学者が考えてきたように、絶対なら、そこにはうそはまったくないことになり、それは人類と言うサルの特徴がないことになるだろう。


そう、記録はうそがある。

その立場に立たねば、いくらやっても真実など見えるはずがない。

そのために考古学を中心とした科学は存在するはずだ。

文献学に対して考古学は「検察官」であるべきだった。ところが実際には歴史研究の権威は文献史学者が牛耳り、考古学はそのためのブルーカラーでしかなかった。作業員。そこに甘んじてきた。

学校の校長が文系に占められていた時代が長すぎた。



聖徳太子が蘇我氏を法隆寺に押し込めるための、蘇我氏の「代替聖人」として作られたことは間違いがない。いいですか?間違いがないのです。

つまり厩戸の名を借りた祟りを避けるための方便なのだ。誰がそれを必要としたか?蘇我氏を滅ぼして、政権を簒奪した氏族に決まっている。それは藤原不比等である。

救世観音は入鹿がモデルだったから夢殿にぐるぐるまきにされて、永年秘匿されたのだ。鎌足がそうさせたのである。いや、実際は鎌足すらイメージだったかも知れない。不比等が作り出した祖人。

その証拠に、藤原姓を不比等が名乗った。そもそも天智天皇は藤原姓は鎌足一代として与えたはずである。なぜ息子がそれを引き継げるのか?天智を不比等が抹殺したからだろう。

息長系とはどこに実態があるのか?
継体大王にその始まりが設定されているが、まあ、神功皇后と応神天皇から、長々と、ありもしないえにしが前倒しして置かれたあげくの継体登場。

なぜ八幡神は応神なのだろう?

飛鳥の蘇我時代から、はるか昔に、応神・仁徳の王家があった・・・それは今の飛鳥天皇家の先祖だ・・・そう言いたい。その河内の王家の仁徳は、なにゆえに河内から遠いへき地だった山背まで出向き、煙が多いから山城国は栄えていい国だと言うのか?そこに秦氏がいたからだろう。秦氏の金がなければ河内王朝は成り立たなかったということだ。

山背大兄はなぜ生駒山から山背深草へゆき、秦氏の力を借りなかったのか?なぜ蘇我に囲まれたときに「今の戦力でも勝てる」と言いながら「しかし自分一人のために多くの臣下を犠牲にできぬ」などとかっこいいことを言って、しかも一族全員で自殺するのか?意味不明な矛盾ばかりが『日本書紀』には書いてある。なにを言っているのか、この矛盾だらけの皇子は?意味が分からない。

すべてが虚構ではあるまいか?

上宮王家など本当にいたのか?なのである。

広隆寺の守護神である山背葛野の大酒(辟)神社には、秦河勝が守護として祭られたが、河勝が新羅から=伽耶から来たとすれば、百済王豊璋である鎌足にとっては仇敵。河勝が坂越へ逃げるならば蘇我氏ではなく、鎌足=不比等を禁忌してのことであるはずだ。しかし学説は蘇我入鹿を忌み嫌い逃げたと見た。おおいなる勘違いではなかろうか?

のちに、道真に祟られ藤原四家が死に絶えた後、唯一生き残った光明子は、蘇我氏の怨霊を畏れ、聖徳太子を伝説的聖人へのぼらせる。それはまるで皇極の夢に出てきた入鹿の怨霊・青い笠の鬼のようだ。
同じ悪夢に藤原光明子も悩まされた。なぜか?父・不比等の虚構の生き方のせいだろう。むしろ不比等こそが祟る神になったのだ。そして光明子の子・藤原仲麻呂は藤原政権をつぶし、その子の九州での反逆を導くこととなる。

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

つづく